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和田秀樹×中川恵一 の がんでもボケても

これからの医療はどうあるべきか

がん医療、老年医療に携わってきた2人が、日本人の心のあり方に斬り込む連続対談。最終回は、「薬だけでない医療」「社会に問いかける医療」を考えます。

中川 これまでの対談の中で、日本人が「自分は死なない」つまり「老いない」気でいることに触れてきました。今の日本では、そういう患者さんの思考に添った医療が提供されている、というのが現状だと思うのですが。がん治療でいえば、「抗がん剤で徹底的に、死の間際までがんをやっつける」のも、その側面があるでしょう。

和田 そう。老年医学も結局は社会ニーズに追従しているんです。「この薬を飲めば認知症は進行しません」といえば患者さんは喜びますから。あくまで「治してあげましょう」というのが基本スタンス。

中川 だけど、その傾向一辺倒というのはどうなんでしょう。例えば、日本のがん医療の多くは治癒率(5年生存率)を上げることを理想としていますが、がんというのは治せる人がいる一方、治らない人もいる。なのに、人々は後者の問題を直視しません。関心が集まらないとお金も時間も集まらない。

和田 老化についても同じ。若返りだとか治せそうなものは一生懸命やるんだけれども、じゃあ寝たきりのお年寄りを大学病院のお医者さんが往診するかって言ったら、それはありえないでしょう。「あれが治りました」「これも治りました」というのが重要なのであって、治らないことや、5年10年先のさらに老いた状況や死を前提にした議論は上がってこない。

中川 私が取り組んでいる「緩和ケア」も、アメリカ的・二元的思考で「治すのが当たり前」という前提の下で、抗がん剤治療との間でゼロかイチかの関係になっています。つまり、死の数日前まで徹底的に抗がん剤を投与しつづけた挙句、最後の最後にパタッと、さじを投げるように緩和ケアへと移行する。

和田 もっとバランスよく取り入れられないものでしょうかね。

中川 ええ。緩和ケアというのは、何人も避けられない死というものをよりよく受け入れる、もしくは誰でも迎える死の前段階としての人生をいかによりよく送るかの問題ですから、痛みがあるのなら治療の最初の段階で導入されてもいいはず。さらに心のケアも最初から、がんの治療と一体であるべき。がんの進行に伴い治療と全人的ケアの比率が推移する、そういうかたちであるべきでしょう。

和田 そうなんです。心のケアもね。薬だけでない医療の関わり方を探っていかないといけない。特に、老年医学でも、若い人はお年寄りの気持ちを勝手に解釈してしまう。ビートたけしのお母さんは「寝たきりになってまで生きたくない」と若い頃の口癖だったのに、自分がそうなるとやはり生きていたいと言っていたそうです。最近のお年寄りは確かに若返っていますが、単純に65歳以上の人口というよりも、もう少し先に、心身共いわゆる"お年寄り"の人口が増えてきたときにどうするのか。

中川 もともと東洋の文明は年長者を敬い、自己愛も人間らしさとして受け入れられる儒教などを背景にしていて、高齢社会になじむはずなんです。だから、我々が何千年かけて培ってきたそういう東洋的な良さをこの10年で捨て去ろうとしているのはかなり危ないことですし、医療も無関係ではいられないですよね。

和田 若々しくないお年寄りでも相談役になったり、あるいは「老人力」を発揮したり。「老いと闘う」とのも悪くないが、「老いを受け入れる」「老いているだけで価値が有る」という考えもありなわけです。そうすると結局「老い」にまつわる医療というのは、「寝たきりになってもいいじゃないか」「それでも幸せな生き方もある」というようなスタンスをお手伝いする仕事だっていいと思うんです。

中川 アンチエイジングだとか徹底的ながん治療だとか、社会の求めることを前提としてその中で取り組んできた一方、実は医療は社会に対して問いかけることを少し疎かにしてきてしまったのかもしれません。ですから和田先生のお話は、医療界を上から見渡すような視点に立っておられる点で大変興味深いものがありました。私の専門の緩和ケアも"生き死に"に直結している非常に微妙な対象を扱う分野ですから、なおさら黒か白かでなく、柔軟なものの見方で向き合っていかねばと考えさせられますね。

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