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梅村聡が斬る① 民主の3党協議離脱 議論の枠組みに欠陥

 民主党が8月、社会保障制度に関する自民、公明両党との3党実務者協議から離脱しました。民主党が与党時代にリードして決めたことなのに、「無責任だ」と思っておられる方も多いでしょう。私の知る範囲で、背景を解説します。

 私が議員を退いてから離脱表明があったので詳細は聴いていませんが、「自分たちの主張が採り入れられていないのに、今回の改革内容に民主党も納得していると思われたら困る」との理由で離脱したと思われます。無責任との批判は甘んじて受けるとしても、この3党協議のやり方にそもそも問題があったと感じています。

党の呪縛抜けず

 3党協議構想の「芽生え」は5年ぐらい前、まだ自民党政権だった頃に遡ります。

 当時、各党から議員が集まり、私や長妻昭議員も参加して、社会保障に関する勉強会を開いていました。そこで、年金の一元化に成功したスウェーデンの例が紹介され、ある議員が「なぜできたのか?」と質問しました。社会保障制度には様々な立場の人が関わっているため、制度改革時には損をする人と得をする人が必ず出て、話がまとまらなくなるのです。それをどうやって乗り切ったのか、という趣旨でした。答えを要約すると、7つの政党が代表者を出し、議論内容について党に諮らず、メディアにも途中経過を知らせず、誰が何を言ったか一切漏らさないようにして、また党側もどんな結果になろうと彼らの責任を一切追及しないという約束で議論が進められたというのです。このため、代表者は党や団体の利害を考えなくて済み、ひたすら制度改善だけめざすことができたそうです。途中で2党は協議から離脱しましたが、主要5党が議論に残って合意に漕ぎ着け、改革は実現したということでした。

 3党実務者協議を設けた当時、長妻議員の中にもこのイメージがあったはずです。しかし実際には、各代表は党を背負ったままでした。また、3党だけでなく、主要政党すべて協議に入れるべきでした。

 結果として、議論は全く噛み合いませんでした。例えば最低保障年金について、民主党としては「現在生活保護を受けている人の約半分が65歳以上の世帯。今後も無年金・低年金の人は一層増える。生活保護受給者が増えて社会保障費が圧迫されるより、最低保障年金制度を創る方が効果的だ」という主張をしたつもりでした。しかし他党は「民主党がマニフェストに書いていたから、制度ができたら民主党の手柄になってしまう」という理由で反対します。また別の党は「非正規労働者に厚生年金を適用拡大してはどうか」と言ってきましたが、それは以前に民主党がやろうとした政策で、その時にはその政党は反対していました。

 党を背負うと、良いと思われる政策にすら合意できなくなることが分かってもらえると思います。もし合意できたとしても、足して2で割ったような妥協案にしかなりませんから、代表者は党に帰ってから責められて立つ瀬がありません。

 党を離れてでもやる、というぐらいの覚悟のある人たちが出て、また党は彼らを責任追及しないというやり方でなければ、社会保障のように多くの人の利害が絡む制度の改革は難しいのです。

専門家が越権

 政治家による3党協議と専門家による社会保障制度改革国民会議が別々に行われてしまったことも不幸でした。

 政治家が判断を正しく行うためには、専門家からのデータ提示や解説が不可欠です。長妻議員も私も「専門家の会議と連携してほしい」と要望していました。しかし連携されることなく、国民会議は別の日に別の場所で開催されました。3党協議に連携できないなら、せめて国民会議に政治家が入って一緒に議論するべきでした。

 というのも、専門家の役割は本来データの提示とその解説までであって、政策決定は政治家の仕事です。それが政治家と専門家の役割の棲み分けですが、官僚の都合がよいためか、現在は専門家が越権して政策提言の決定まで行っています。政治家と専門家が別々の場で会議してしまったため、政治は専門家の助けを得られず、専門家も政治の保証を受けられず、出てきた改革案は極めて内容が薄くなってしまいました。

 このように議論の枠組みそのものが3党協議の失敗だったと思っています。

 これは現在の各省庁の審議会や検討会などにも、全く同じことが言えます。このやり方は官僚の思うつぼで、国民の意見はいつまでたっても反映されません。政治家と専門家の役割を踏まえて、合同会議をつくることが必要です。

代表者か代弁者か

 そして政治家は国民の「代弁者」と「代表者」の立場をうまく使い分けられるスキルを持つべきと思っています。

 「代弁者」は国民が認識している利害に従って動きます。「代表者」は国民が認識していない部分まで自ら調べ考え行動します。この違いは極めて大事なことなのですが、分かって行動できている政治家も国民も、とても少ないです。

 例えば年金制度について、我々は「このままでは年金制度自体が破たんするリスクがある。そうなる前に年金額を下げて制度を保たせよう」と「代表者」としての主張を展開しました。一方某党は、「年金額が下がると生活が大変になってけしからん」という「代弁者」の主張でした。今の年金額を大事にするのか将来への制度維持を大事にするのか選択してくださいと言わずに、目の前に見える年金額だけ問題にするのはフェアではありません。

 政治家とは、国民から行動選択の委任をある程度受けることのできる存在だと思っているので、もっと代表者としての意識を持った政治家が育つべきと思います。

 私は、7月の参院選で「人で選んでほしい」と訴えました。それに対して「人で選んでも、どうせ党が決めるだけだ」という声が多く、私の訴えは届きませんでした。しかし、それは旧来型の政治のあり方です。能力や専門性のある「個人」として選ばれた自覚を持ち、党を背負わない「代表者」としてやっていく意気込みの政治家が増えれば、確実に政界の雰囲気は変わります。そういう議論を基にした政策決定が進むようになります。政治家の選び方によって、政策決定プロセスが変わる可能性があるということを、ぜひ皆様には知っていただきたいと思います。

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