逆鱗(ゲキリン)~もてなしの心~その1 |
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投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2006年09月19日 23:31 |
院長室を追放された4年前の夏、
『臨床研修指定病院と常勤病理医』の山形の病理医I先生が、つくばの病院にお見えになる手配を、私が初めて担当しました。
院長から
「I先生に嫌われるような粗相があれば即クビだ~」
と何度も言われていました。
金曜日の夜にI先生にご講演をお願いし、I先生が山形にお帰りになる翌土曜日の朝は、拓大躰道部のHさんはじめ数名の女子学生が病院見学に来る予定と重なっていました。
昨日の内容の通り、院長から
「躰道部の良い人材を一本釣りできなかったら、クビだ~」
と言われていました。
瀬戸際の状況で、
I先生の講演の後、
幹部医師達と会食中、翌日山形まで運転を担当する車両管財課長と別の席に控えました。
そしてお食事後、宿泊ホテルのお部屋までご案内して、
「明日の朝は、どうしても外せない来客予定と重なってしまい、こちらの(よくお顔見知りだった)車両管財課長がホテルまでお迎えにあがり、そのままお車で山形までお送りいたします」
と言葉を添えました。
ほろ酔い気分で上機嫌のI先生は、
「うん、うん、ご苦労様でしたねえ」
と頷いておられました。
翌朝土曜日朝8時、院長から
「I先生はどこにいる?アンタは何をしている?」
と何度も電話がありました。
明らかに院長は立腹しています。
躰道部の女子学生に病院内を案内している最中も、院長自らの病院館内全館放送で呼び出しです。
ところが、健診センターや老人保健施設近辺は、全館放送の声が届かなくて、私は院長に呼び出しを受けていることすら気がつかず、対応におわれていると、さらに院長の怒りは頂点に達したようでした。
昼前に女子学生と面談を終え、見送ってから、総務課の同僚から院長の呼び出しを聞きました。
総務課の君の顔色から、明らかに憐憫の情がうかがえました。
院長室に直行した私に院長は・・・
次に続きます。
コメント
明日を楽しみに致しております。
平和な時代が続くと平和惚けと言うのが有りますね。
私も45年前に亡くなった病理医の叔父を思い出してみました。
けたたましい所が有り、当時の帝大系教授には恐ろしい人がおりましたよね。
要するに鬼の様な部分です。
犬の散歩を叔父としている時に駐在所の警察官が叔父に何か質問を致しました。
私は多少離れた所におりましたので経緯は分かりませんでしたが。
突然、貴様、ワシを誰だと思っているんだ。
叔父の声です。
警察官もビビッテしまった様子、
大きな秋田犬を引きながら、叔父が言います。全く無礼な奴だ!
この様な常識は現在では通りませんが、本当にそう言うけたたましい部分、を内在致しておりました。
だからと言って優しさが無いわけでも有りません。
出掛けると土産なども買って来てくれましたし。
兎に角、怖かったの思い出がまず最初に思い起こされます。
明治時代の人を、昭和の特に戦後生まれの人に理解させ様としても無理と考えます。
人間は環境の子と申した有名な物理学者がおりますが、
環境を経験していないと、言葉の一言にも食い違いが出てしまいます。
この国はあの戦争の敗戦で価値観を180度変えさせられてしまいました。(他国に)
誰に責任が有るわけでも無い事が時として、トラブルの基になる事も有りますね、、、、。
「院長室の愉快な仲間たち」・・ちょっとちがうくない?
「鬼面をかぶった院長せんせい」
・・・しっくりこない・・どうしよう?
次は?
右へ行っても左へ行っても
「クビだ~」とは恐ろしい。
さて、どうやって切り抜けたのでしょうか。
興味津々です。
『けたたましい、鬼のような、警察官もビビる』・・・そっくりだと笑ってしまいました。
切り抜けたわけではなかったのですが、それに院長が本当にクビ切るときは、決して「クビだ~」と叫ばないで黙ってやる恐ろしさを身をもって知ったのは、もっとずっと後でした。