患者の声と対話型ADR
和田
「狭いとは」
村上
「健康診断の結果を息子に知らせてくれていれば治療できたかもしれない、といった具合に、資料開示をかけてみると、ここでもしもう少し医療者が突っ込んで対応してくれていれば、死なずに済んだかもしれないということがゴロゴロしている。それをすべて握りつぶされた。その過程を検討して改めるべきは改めてほしい。
健康診断が、大学にとっては就職証明書を作るためだけのものになっていて、医療者にとっても大したものが出てこないと決めつけられていたように感じる。息子の死をケーススタディに再発防止の検討をしてほしい。
そう思って、医療機関の最高責任者や現場レベルの責任者に都合5回面会を申し込んだけれど、残念ながら誰にもお目にかかることができなかった。こちらは開示されたものが真実なのか疑義を持っていて、とても事実にたどり着けないという感覚を持った。そういう対応をするのは責任問題を恐れているからだろうと考えたので、だったら上の人に面会して責任追及や裁判はしないと伝えて、事実を聴きたいと思った。しかしあっさり断られてしまった。
こちらは怒り狂って全て文書にしてぶつけてしまった。それでもやりとりの肝心のところは曖昧だし、改善案もおざなりに感じた。だったらと事実解明はあきらめて、再発防止の一点に絞ってと提案したけれど、それでも現場の責任者からは『説明を尽くした』という文書での回答しか来なかった」
これまた凄まじい話である。
例えるなら、丸腰で「話せば分かる」と近づいているのに
相手が銃を構えたまま砦から出てこないということだ。
たぶん、こんな事例が少なくないのだろう。
村上
「患者がまだ質問があると言っているのに、説明は尽くしたという医者がいるのか、と怒り狂った。医療者の良心に訴えていけば何とかなるのでないかという信頼が音を立てて崩れた」
和田
「医療者の一人ひとりと話してみると、良心を持っているし、悩んでもいることが多い」
村上
「しかし、その部分が何にも出てこなかった。医療者も苦しんでいるんだと感じ取れていたら、状況がまた変わったかもしれない」
和田
「文書でやりとりしたのが問題だろうか」
村上
「窓口が総務の部署で、医療者とは一度も話すことができなかった」