地域医療の荒廃、「選択と集中」が原因
■ 「医療は『選択と集中』よりも『分散と公平』で」 ─ 樋口委員
[樋口恵子委員(高齢社会をよくする女性の会理事長、評論家)]
(医療保険部会の委員として)新米なので、大変乱暴なことを申し上げるかもしれないが、「社会保障国民会議」に私も連ならせていただいた。
そこで、繰り返し繰り返しデータも見て、日本の国の財政が大変であること、プライマリーバランスの回復は至上命令の1つであっていいと思っているが、それは国民の生活が安定して発展していく。自治体も国も、最大の使命は国民の生命の安全を保障することだろうと思う。
財源が厳しいということは100も承知の上で、各国を比較してみると、今ここで問題になっている医療費を含めた社会保障費も、日本は他の先進国より決して高い水準でもなければ、高い比率でもない。
ですから、いろいろな考え方があったと思うが、社会保障国民会議で基本的に一致した考え方は、何はともあれ社会保障の機能を強化するために一体(どれぐらい掛かるのか)......。
私は吉川座長に繰り返し、この社会保障の機能強化というのはまず一体、国民に、中程度の、一定程度安心できる、医療も介護も、もちろん子育て支援も提供したとき、一体どれぐらい掛かるのか、いるものはいるということを計算して、自己責任はどrぐらいなのか、国の責任はどれだけか、企業の責任はどれだけか、そう考えてよろしいですねと繰り返し申し上げてきた。
もちろん、財源を無限に使っていいとは言う気はないが、限られた財源の中でいきなり「選択と集中」と言われると、とても戸惑うものがある。ここから先(の発言)は、私は後期高齢者として少しひがんでいるかもしれないが、「医療は選択的、集中的に若い者に行う」ということになってしまったら大変だと思っている。
やはり今、こんなに疲弊してしまった医療をどう回復していくか、そういう側面からぜひご討議いただきたいと思うし、私どもの発言もお許しいただきたい。
「選択と集中」という言葉の使い方を私は間違っているかもしれないが、今、産科と小児科のような一番大変な所に選択してそこに財源を投入すると、そういう意味なら誠に結構。結構だが、少し日本全体の資源の配分などを見ると、私はむしろアイロニーかもしれないが、「選択と集中」どころか、「分散と公平」を図っていただきたい。
つい最近、(東京)蒲田医師会の責任者から聞いたので嘘ではないと思うが、大田区を三分する医師会の中で、医師会の範囲で、分娩を提供できる医療施設がなくなってしまったことを伺った。
そういうことを聞くと、やはり公的な責任を持って少なくとも人口30万人とか20万人という地域の中に分娩できる施設があること。これが、私の言う「分散と公平」。そういう視点からも論議いただけないかと思う。(以下略)
【目次】
P2 → 「さまざまな配分の見直しが考えられる」 ─ 厚労省
P3 → 「全体的に見ていかなければならない」 ─ 日医
P4 → 「昨今の経済情勢や健保組合の財政に配慮すべき」 ─ 経団連
P5 → 「医療は『選択と集中』よりも『分散と公平』で」 ─ 樋口委員