村重直子の眼12 本田美和子・国立国際医療研究センター病院医長(上)
村重
「それをどうなさったんですか」
本田
「私は、1999年から糸井重里さんのwebサイト『ほぼ日刊イトイ新聞』で健康についてコラムを書いていたので」
村重
「連載されていましたよね」
本田
「それで糸井さんのご意見をお伺いしてみようと思いました。『じゃあ、一度現物をもって来てみて』とご連絡をいただいたので厚いファイルを持っていったら、糸井さんはスタッフの人たちをたくさん集めてくださっていて、10人ぐらいの方を前に健康手帳についての説明をすることになりました」
村重
「そんなに大勢集めてくださったんですか」
本田
「ええ。とても感謝しています。わたしの長い長い説明が終わった後で、この健康手帳が私にとってすごく大事な友達だというのは分かったけれど、その良さを多くの人に分かってもらうには、すこし工夫が必要だと思う、と、糸井さんはおっしゃいました。この中で必要な部分だけを抜粋してみて、それからもう一度考えようと言うことになりました。2カ月くらい経ったところで連絡があって、厚いバインダーがこうなったんだけど、これでいいなら進めたいとおっしゃった。私は見せていただいて、『よろしくお願いします』と即答しました。私は、自分の健康を守るために必要なことは全部カバーできるようにしたいという思いがあって、どんどん内容を詰め込み過ぎていたんですけれど、現実問題としての使い勝手の悪さが問題となっていました。抜粋された内容は、ほんとうにコンパクトになっていて、自分のこれまでの病気、飲んでいる薬、家族の病気と、病院にかかったことがあればその記録と、あとは病気や健康に関するコラムが残りました」