「介護者同士が共感できる場を」―認知症患者の介護家族の声③
■同じ介護者に「つらい」を共感してもらえた
――それまでは聞いてもらえても分かってはもらえない話を、そこで初めて分かってもらえて、気持ちが楽になられたのでしょうかね。
例えばご近所の方も経験がないとなると話せないし、気遣って言って下さることに逆に傷付いたりすることもあると思います。私の場合は、友人には話せても共感は難しいということで、同じ介護者に出会ってほっとできました。そのほっとした思いをされている方が少ないんだと思います。やっぱり閉じこもってしまう方が多いと思うので、私は幸運だったと思います。何を話した、とかじゃなくてその場に入ってきた瞬間に分かるんです。「つらい」と言うと、「ああ、つらいよね」と言ってくれる。皆さん現在介護中の方なので、何がつらい、ではなくて、つらいという気持ちが分かる、それが共感じゃないかと思います。悩みを話して泣いてしまったこともありますし、そういうことが一番大きかったと思います。
――「つらい」という気持ち自体を共感することで、楽になれるんですね。
その場ではそういうことだけじゃなくて、一緒に介護や病気、薬について勉強したり、情報交換もします。だから介護のことを自分でちゃんと考えられるようになってくるんです。そうやって余裕を持って、自分でちゃんと考えられるようになる場所は介護者にとって必要だと思います。それから、母のことについても、ずっと病名として認めたくないと思っていたのですが、ちゃんと知ることが子どもとしての責任、義務かなと思うようになりました。4年前、初めて信頼できる認知症の専門医に診てもらって、アルツハイマー型認知症だと診断されました。
――有岡さんは、以前からお母様を在宅で見ていこうと思われていたのですか?
私は母が死ぬときはずっとそばにいたいと思っていました。でも自宅で看取るというのはぴんとこなくて、ものすごく大変だと聞いていました。その頃は母の最期についてしっかり考えていませんでしたが、最期にはそばにいたいなと思っていたんです。かかりつけの病院があったので、母を看取るならその病院か自宅だと思っていました。もし何かあったとしても救急車で他の病院に行くというのは考えられませんでした。母がもう少し若かったら何かほかの病気で別の病院に行って良くなるということもあるかもしれないけど、85歳を過ぎて認知症があってとなると、他の病院には連れて行きたくないと思っていました。でも、そのかかりつけの病院が病棟を閉鎖することになったと聞いて、どうしようと慌てました。先生に相談して、何かあった時のために先生の携帯電話の番号もお伺いしましたけど、やっぱり先生は在宅の先生ではないから「僕も正直不安です」と仰って。その先生が駆けつけて下さったとしても、どこかの病院に行くことになるかもしれませんし、本当にショックを受けてどうしようかと思っていました。その頃、在宅医療専門の先生が書いておられた新聞記事をずっと持ち歩いていて、その先生に主治医をお願いしようと決めました。