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「介護者同士が共感できる場を」―認知症患者の介護家族の声③


 
■「延命はしたくない」
 
――ちょうどよいタイミングで在宅の先生と知り合えて、よかったですよね。
 
先生に私の思いを伝えたら「在宅で見ましょう。最後まで付き合うよ」とおっしゃてくださいました。在宅で見るということは相当な覚悟がいりますけど、それは腹をくくろうと思いました。今は素晴らしい訪問看護師さんとも知り合えて、在宅で看取るということが夢ではなくなりました。とにかく最後まで母の傍についていてあげたい。母の延命をせずに死を受け入れたいと思っています。先生に「延命はしたくない。無理に症状を抑える薬も飲ませたくない」と伝えると、「そうしよう」と言って下さいました。そして、母がデイサービスに行っている時に何かあったとしても、救急車は呼ばないで、私か訪問看護師さんか先生かに連絡をしてくださいと職員さんに伝えてあります。
 
――主治医が変わることについては、どうでしたか?
 
今までの病院の先生に伝えるのはとても勇気が要ったのですが、お世話になっている先生だからお礼も伝えたくて、「在宅医療の先生にお願いすることになりました。今まで本当にありがとうございました」と伝えました。そうすると、「それはよかった」と喜んで下さったので良かったと思っています。
 
――今は、どんな風にサービスを受けられているんですか?
 
デイサービスを、日、月、水、金曜に。そして私自身も持病があるので、何かあった時にも母の送り迎えとかにイレギュラーに対応してもらえるように、月に2回、1時間だけヘルパーさんもお願いしています。そして訪問看護師さんに来てもらっています。母は歩けますけどふらつくのでトイレに行く時には支えが必要です。母がデイサービスに出かけている時に私は書類の整理や家のことをしますけど、やはり夜中にも2時間ごとに起きて母のトイレについて行ったりしますので、この前過労で倒れてしまったんです。なので、母がデイに行っている間は時間を見つけて寝るようにしています。
 
――有岡さんご自身の生活のバランスがありますよね。でも在宅でお一人だと、お母様の介護のことで忙しくて、息が詰まるような感じにはなられませんか。有岡さんはずっとお仕事をされてきているので、なおさらその感じがあるのではないかなと思うのですが。
 
介護を続けていると、社会から取り残されている感じはすごくありました。母の介護度が上がってくると、経済的にも母の遺族年金だけでは赤字になってしまいます。それもあるので働きたかったけど、在宅介護を続けるには体力的に無理だと思いました。社会と断絶されている感じや、焦る気持ちもありました。そこで、家族会や介護者同士の集まりに来ていると、それが社会との接点になっていたと思います。今まで「行き止まり」に感じられたところに風が吹いているという感じがしました。対応の仕方が分からないと母に当たってしまいますし、今もイライラすることはありますが、またそこに出かけられると思うと母にも優しくなれます。認知症は、これまで大変な生活を送ってきた母にとって、つらい思い出や心配事を取り除いてくれたプレゼントとも思えるし、私にも世界が広がって、プラスマイナスから言うとプラスだと思えるんです。母は私を苦しめるために病気になったんじゃないと思っていましたし、その答えはあると思っていたけど、見つからなくてつらいと思っていました。でも、私は母の認知症を通して多くのことを教えてもらい、成長させてもらいました。母は私にこういうことを教えるために病気になったんだ、意味あることだと思えるようになりました。
 
――そういう場があったから、そんな風に思えるようになれたのですね。
 
私一人でできたわけじゃなくて、皆さんのおかげです。だから私は幸せだと思います。こういう「つどい場」という話を聞いてくれるところ、介護者が行けるところが大事です。一人で閉じこもっていたら絶対にいいことを考えません。介護者が首を絞めてしまうという、その気持ちも分からなくはありません。夜中に起きて混乱している母にどう接していいか分からなくなります。私も父の位牌に「早く迎えに来て」と言ったこともありました。それがこういうところがあって思いとどまらせてもらえたんだと思います。今ある制度のサポートだけでは無理です。建物を作るとかではなくて、やっぱり介護者の気持ちが大事です。介護者が元気じゃないと本人を見れないです。私が暗い顔をしていると母はすごく敏感なので不安になりますけど、私が元気で笑顔だと母も落ち着いています。
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