新生児科医はなぜ足りないのか。

投稿者: | 投稿日時: 2009年05月03日 15:18

一昨日のニュース「NICU220床増床に39億円-文科省補正予算案」に対し、「新生児科医が不足する中で、NICUだけ増やしてもしょうがない。現場の負担を考慮していない」旨のコメントがつきました。私も以前から、そうなんじゃないかなあ、とまさに思っていたところです(「予算も足りてないそうです」ほか)。


新生児科医の不足は産科医のそれに匹敵あるいは凌駕するとも囁かれています。過酷な勤務実態は想像に難くありません。そうしたことを中心に、新生児科医が不足している理由を指摘している資料がありました。

昨年11月に開催された「第3回周産期医療と救急医療の確保と連携に関する懇談会」に際し、新生児医療連絡会がまとめた資料「新生児医療の課題と解決策“不足するNICUと新生児科医の現状”」です。


その5章の多くが「新生児科医が不足する理由」に割かれ、主に過酷な勤務環境と、さらに医学生が持つ新生児医療のイメージが説明されています。スライドから抜粋してみます・・・。(ちなみに、新生児科は標榜科ではないために、実態把握が困難だということもこの資料で初めて知りました。学会でいえば新生児科は小児科の一分野なのですが、救急システムでは小児救急と別分野、周産期救急に含まれるとのこと。いわれてみれば、周産期の救急問題で新生児の話をしてきましたが、そうした分類の点は深く考えずにいました。)


【過酷な労働実態】

●多忙とされる小児科の中でも、過酷とされる領域。
●1月の当直回数は6回、8割の施設で当直翌日も通常勤務(36時間以上の連続勤務)。
●残業時間を含む推定平均在院時間は300時間/月を越える。
●家庭生活の犠牲が強いられている。
●過酷勤務の結果、医療の安全のみならず、健康に不安を感じている。
●研修世代を除く前世代で、約3分の2がいずれかの時点で離職を考慮。
●離職を考慮する理由の大部分は体力的限界。


【医学生のイメージ】

●多くが“生命の誕生に立ち会える事”に魅力を感じ、“予後不良が多い”ことに抵抗を感じている。
●医学的理由以外にも、“重労働”“時間が不規則”という勤務条件を問題視。
●“勤務環境の改善”、特に女子においては“出産育児支援”を求めている。


このほか、新生児学に関する教育体制の不十分な様子(特に国立大学)等も指摘されています。さらに6章では、新生児科医がどれくらい必要なのか、さまざまな算定方法により幅がありますが、それらを示し、現状より1.5~少なくとも2倍の人員(1500人~2300人)が必要と結論づけています。


私もこのブログ上でも何度も疑問を呈してきましたが、今回の資料でも、新生児科医不足が新生児医療における最大の問題としています。特に、

●NICU病床を維持・確保する上で、新生児科医不足が最大の問題である。
●新生児科医不足は新生児死亡率にも影響している可能性がある。

としている点は見逃せません。NICUの増設も必要なのですが、器だけあっても新生児を診ることのできる人が足りなければ、意味はないですよね(しかも標榜科でない以上、単に小児科医を増やすことができたとしても新生児科医が増えているのか把握も困難です)。医学生アンケートで最大のマイナスイメージになっていた「予後不良」についても、医師不足が原因と考えられるということは、医師の不足が不足を呼ぶ、悪循環となっているように見えます。しかも教育が不十分となれば、「新生児科医になろう」というきっかけを医学生に与えられる体制からは程遠いということですよね。


もちろんNICUの不足についても、上記資料では14年前の新聞報道を引用して、問題が長らくなおざりにされてきたことを訴えています。今回の補正予算で、それについては大きく動き出したということになるのでしょうね。14年間・・・。その設備が無駄にならないよう、新生児科医不足については、もっとずっと早い対応を望むばかりです。


なお、先日も別のエントリー(「こども病院のナゾほか。」)でPICUの集約化と搬送に関する懸念について触れましたが、赤ちゃんの救急搬送に関しても、3割の新生児科医が不安に感じているという調査が報道されています。問題解決は一筋縄では行かないということですね・・・。

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コメント

堀米様
 
手前味噌で恐縮ですが、こちらもご参考にどうぞ。
私が前職で新生児医療について書いた特集ですが、
ざっと通して見ていただけると構造が見えてくるかと思います。
■特集1
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/19565.html
(こちらからリンクをたどって頂けると、3回目で新生児科医不足について触れています)
■番外編
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/20802.html
  
特にこの番外編をご覧頂くと、NICUだけの問題でないことも見えてくるかと思います。
コメントを頂戴した網塚先生も出ておられますので、
情報の一つにしていただけますと幸いです。


堀米様
>医学生アンケートで最大のマイナスイメージになっていた「予後不良」についても、医師不足が原因と考えられるということ

どうやら堀米様は新生児医療の医師不足が大きく改善されれば、新生児救命率も向上し、予後不良も減らせるという前提で論じて居られるように感じられました。

ところで、医学生のアンケートで“予後不良が多い”ことに抵抗を感じているとありますが、ここで言う予後不良の意味合いは新生児死亡率と同義で宜しいのでしょうか?

アンケートでの“予後不良が多い”ことの意味は、救命出来た新生児がNICU病床を離れた後に、どの程度の社会生活をして行かざるを得ないのか、その現実が厳しいことを知っているからではないのでしょうか。せっかく新生児の救命に成功したとしても、その先に待ちかまえる現実を思うと徒労感無力感を覚えてしまう「心の不満足」が、アンケートに答えた医学生の抵抗を感じる部分かと私には受け取れました。医学生は決して救命率が先進諸国に比して良くないことに抵抗を感じているのではない、このように私には思えるのです。

新生児の救命率が上がり多くの生命が助かるということと、多くの幼い子や親が幸福感を得たり、お世話した医療者が満足感を得るということは、同じように見えながら違っているのではないでしょうか。命が助かり救命されることと、その助かった命を永らえる子どもたちの将来の幸福はイコールなんでしょうか。命あっての物種とか、命は地球より重い、命が助かるのが第一、という救命率の段階で思考が止まってしまっておられませんか。

熊田梨恵様が提示されたCBニュースの特集記事でも、命が助かることだけを率直に喜べず、助かった新生児のその後の人生に待ちかまえる厳しい現実という、新生児医療の悩みの深さが抉られています。数字で表される救命率だけが医療の成果ではないと思う次第です。

法務業の末席様

ご指摘のとおり、医学生の予後不良に対する不安は、退院後あるいは小児科へ移ったあとの話かもしれません。その点は、もっと想像力を働かせる必要がありました。

(ただし、

>医学生は決して救命率が先進諸国に比して良くないことに抵抗を感じているのではない

これはもちろん、そうではない、と思います。先進諸国と比べて救命率は低いどころか、新生児死亡率は世界最高水準です⇒http://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/03/dl/s0304-7g_0001.pdf)。


確かに、命が助かればよいというものではないのは、想像に難くありません。以前、「医学の進歩はほんとうに私たちを幸せにするのか」というエントリーで、胎児に異常が見つかった時に、夫婦は何を覚悟し、決断するのか、ということを考えました。その延長線にあること、あるいは結果的に同じことなんですよね。

的確なご指摘をありがとうございました。

   新生児科の悩みは産科以上でしょう。
   産科と同じく、医療医学の進歩による死亡率の低下で、親御さんたちの「非現実的な期待」は青天井です。
   「未熟児で生まれるかもしれません」という警告の重みを理解できない親がほとんどです。
   「未熟児でも助かる」「正常に育つ」という、例によってジャーナリズムが植え込んだバイアス(例外的報道)を鵜呑みにしているからです。
   人工呼吸器につながれたまま、肺炎などの合併症による死を待つのみという悲惨な例は、決して大々的には報道されません。高齢者であれば諦めがつくことも、一度も声さえ上げたことのない嬰児(みどりご)が患者の場合、愛着と苦悩が深まるばかりです。

  医者のあいだでも、「何グラムまで助ける気か」という悲鳴が上がっています。500g台でも育ったよ!!などと、無邪気に誇る医者は、ほぼ皆無でしょう。『ちゃんと育った』というのは、気が遠くなるほどのフォローアップ期間ののちに初めて言えることですから。

  でも、誰も一線を引けず、自縄自縛状態です。

  新生児科の先生方には頭が下がります。でも、新生児科の先生方を社会が支援するというのは、もっと広い、医療哲学的意味合いが他分野以上に濃い、と愚考いたします。

  ある意味では、臓器移植と同じぐらいの集約的治療を実施している、超高額医療でもあります。米国では20年前の資料で極小未熟児4カ月入院で5千万円、今なら軽く一億でしょう。日本では例によって新生児科医師が献身的ただ働きをして安上がりにしてしまい、どれだけの先進医療かという有難味(?)を薄らげて(?何段活用?訂正お願いします)しまっているのです。

   www.niph.go.jp/wadai/mhlw/1988/s630315.pdf

  消耗戦のスパイラルに陥らないよう、『社会資源としての医療』の基準を、新生児医療においても適用し、冷静な議論が必要だと切に思います。

  なお、誤解のないように申し上げますが、新生児医療に携わっている医師の先生方の働きは極めて尊いものであると心から思っています。でも、問題を適切に発信していかないと、このままでは尊い犠牲に終わってしまうのではないかと危惧しているのです。新生児科のみで収束できる問題ではないからです。極めて重い命題です。

  

新生児科医はなぜ足りないのか?に関して現場の立場からコメントさせていただきます。

その最大の原因は医学生への新生児医療に関する教育にあると考えています。

先日の熊田様の「NICU220床増床に39億円」でも紹介されていましたが、国公立大学医学部のNICU病床数は非常に少なく、これには各大学の小児科教授の意向が大きく反映されています。即ち、新生児医療に関心のある小児科教授がいる大学のNICUは整備されるが、関心の薄い教授の大学では新生児医学の教育すらままならない状況にあると言うことです。当院は総合周産期母子医療センターのNICUで、複数の大学からの学生実習も受け入れています。実際の新生児医療の現場を目の当たりにした学生達は一様に驚き、また関心も示してくれますが、彼らのこの驚きこそが新生児医療に関する医学部教育の手薄さを物語っているといつも感じています。

こうした大学での新生児医学に関する講義は6年間にせいぜい2-3コマしかありません。彼らの新生児医療に対する認識は、医学生でありながら一般の人達とほとんど同じようなレベルにあります。そんな彼らは実際の新生児医療に接する機会がない限り、当然ながらそれを将来の仕事として捉えることはあり得ません。つまり、「自分達の知らない診療科は将来の選択肢になり得ない」と言うことが、現在の新生児科医不足の最大の問題であると考えています。

そう言う点からは、今回の文科省のNICU増床の話は新生児医学に関する医学部教育の改善につながる可能性もある訳ですが、その前に現場が潰れてしまうことが危惧されています。ならば、新生児医療に関する教育は大学のみに任せるのではなく、折角、総合周産期母子医療センターがほぼ全国に配置されている訳ですから、総合周産期母子医療センターでの臨床実習を義務化することの方が余程効率的なのではないかと考えているところです。

また「予後不良が多い」と言う意見も、これもまた認識不足による影響もあると思います。新生児医療とはそんな面ばかりではありません。当然、集中治療を行うと言うことは、生死の境を彷徨う患者さんを治療する訳ですから、その結果、後遺症を残す可能性は十分あります。しかし、それは救急医療や集中医療と何ら変わるところはありません。敢えて言うならば、新生児であるが故に大人である自分達がその立場を投影することが想像し難いと言うことでしょうか?

予後不良となったお子さんを持ったご両親に、「この子は諦めて、次にまた産めば良いじゃない」との一言は多くのご両親を傷つけます。こうした発言もまた想像力の欠如によってもたらされますが、実際の新生児医療の現場に一度でも接したことのある人は間違ってもそんなことは言いません。こんな当たり前のことも知らず、そして社会的な偏見を持ったまま多くの医学生が卒業し医師となって行くと思うと本当に恐ろしいことであるとさえ感じます。

新生児科とは単なる集中治療だけではなく、もっと全人的な診療科です。とてつもなく小さな未熟児や重症児を診療するだけではなく、もっと軽症な赤ちゃん達であっても、いかにしてそうした赤ちゃん達とそのご家族を支えるか、そして、新たな家族の一員としてスムーズに受け入れられることを目指すような診療科でもあります。また言い方を変えると成人領域で細分化された専門分野を「枝」とすると、もっと大きな括りとしての内科・外科・小児科と並ぶ「幹」としての診療科であると言うことができるかも知れませんし、少なくともそうした自負が私たちにはあります。こんな当たり前のことも、新生児科を小児科の単なる「枝」としか考えない教授の下で学ぶことは不可能です。

話が少々脱線しましたが、医学部教育の改革こそが新生児科医不足に対する最も有効な処方箋であると確信しています。

>生涯いち医師さま

>医者のあいだでも、「何グラムまで助ける気か」という悲鳴が上がっています。500g台でも育ったよ!!などと、無邪気に誇る医者は、ほぼ皆無でしょう。『ちゃんと育った』というのは、気が遠くなるほどのフォローアップ期間ののちに初めて言えることですから。
>ある意味では、臓器移植と同じぐらいの集約的治療を実施している、超高額医療でもあります。米国では20年前の資料で極小未熟児4カ月入院で5千万円、今なら軽く一億でしょう。日本では例によって新生児科医師が献身的ただ働きをして安上がりにしてしまい、・・・

非常に重要なご指摘をありがとうございます。しばしば「世界最小の赤ちゃん誕生」なんて報道がありますが、手放しに喜べるようなものでは全然ないのですね。しかも日本ではそのコストがまったく適正に評価されず、新生児科の医師の負担・犠牲で支えられている・・・。

この問題は、本当に、もっと焦点があてられてしかるべきですね。少なくとも産科問題と同等くらいには。「医療問題」の一つとして捉えるから埋もれてしまうのかもしれません。現在、少子化問題への対応といえば中心は労働環境や保育園の整備が先行していますが、高齢出産が増えているなかで新生児科の重要性は高まる一方だと思います。そうした観点から議論を広げ、高めていくことも必要かと思いました。


>地方新生児科医さま

医学生への教育の手薄さについて、現場からの貴重な実態報告をありがとうございます。小児科はただでさえ広範な知識・経験を必要としますから、現体制ではとても新生児科の状況改善は望めなそうですね・・・。やはり標榜科として確立されてもよいように思えました。そのような動きはないのでしょうか?何か障害があるのでしょうか?内容的にも状況的にも、十分その必要性があるように思えるのですが。

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