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ニュース〜医療の今がわかる

後期研修班会議3

土屋
「専門医の機構は、あらゆる機関・組織から離れていないとできないし、公平に評価したとは思ってもらえないだろう。国民から信頼されないことになる」

有賀
「医療崩壊させないため、固い信念に基づいて医療の質を上げる取り組みが必要であることは間違いない。しかし、それが法的枠組みとしてどんなイメージになるのかは、よく分からない。どういう法律になるのか。それと判断の基準が法律だと、プロフェッショナルオートノミーからいっておかしいのでないか」

桐野
「米国は自分たちでやるというのが徹底している。その際には、無人の荒野に都市をつくるようにやる。我が国では、着手が遅くて、私権が林立して駅前再開発のようなことになる。法的制限がないとうまくいかない。法律と自律とが矛盾しているという議論はわかるが、しかし最小限の規制は必要だろう。すべて役所がやるのでは、もっとうまくいかない」

土屋
「市民公開で公の組織をつくりたい。法律をつくるとどうしても官僚が出てくることになる。出てくるとロクなことにならん。しかし自律的に公のものつくる力が育ってないとすると、最低限のものは必要なのだろう。本来は法がなくても機能するのでないと、あの集団は信頼できると信じてもらえないのだが、ただ私個人の見るところ、まだ社会に市民的認識が薄いし、医師集団の中ですらできてない。現状では、法律に頼らざるを得ないのだろう。他に何かあれば」

有賀
「せっかく桐野先生は脳神経外科学会の重鎮なので伺いたい。脳神経外科医の適正数はどう考えたらいいのだろうか。心臓外科専門医は症例数から出すことができるだろうが、脳神経外科医というのが手術をやるだけなら専門医数は出せるだろうが、現状では、救急をやっていて、神経放射線診断もしていて、術後管理もしていて、リハビリもしていて、というように広い視座で運営されている。各学会の専門医の数について、この委員会としてもそれなりのことを言う必要があるならば、脳神経外科医の領域はどう考えたらよいのだろうか。嘉山先生がいるともっと議論が過激になると思うが、ニュートラルな桐野先生に伺いたい」

桐野
「脳神経外科学会でもしばしば議論になる。言葉の定義から言えば、専門医が5千人も6千人もいるのはおかしいのだが、歴史的にみると脳神経外科の医局がアクティブであったこと、先ほど話した各先進国がベッド数を減らした時に日本はベッド数を増やしたわけだが、その時期に医局が活動的でどんどん手を広げた、日本では脳血管障害が死因の第一位だったことと交通外傷が多かったことから需要はいくらでもあるだろうということで増やした。それなりの理由があって、我が国の脳神経外科は我が国特有の科という主張も理由がないわけではないが、自ら望んで制度設計したのではなくて、どんどんやったらこうなっちゃった。

ただし脳神経外科は、91年ごろの会議で言ったことだが、そのころから希望者が減りつつある。専門医というのは新卒から7年後ぐらいの反映だから。これは危険な兆候だから、脳神経外科医のありかたを変えるべきと言ったが不評だった。その後は臨床研修制度が始まってわけが分からなくなっちゃった。昔は年に300人ぐらい入局していたが、今は150人くらいしか入局していない。ということは下で一番働かなきゃいけない人が少なくて、肩で風切って歩いて威張っている人ばかりということだ。北海道では何年も入局者がいないようなところもある。このままでは、産科、救急に続いて崩壊する。もっと現実的に考えれば、業務を整理して専門医の数も症例に応じていかざるを得ない。必然的にそういうことになる」

江口
「まさに今のような話というのは、何年か先を見通したディスカッションをやってないとトレースできない。昔なら手術できるものは全部手術だったと思うが、今は新しい分野や専門性が出てきて、そういうものの人数が全国に必要だとしても先読みしてないと。脳外科の中だけで話をしていると先に手を打てない。本来の意味の脳外科医でなく療養専門の方は専門医でないのか、システムチェックが必要だろう」

桐野
「脳卒中は、諸外国では神経内科、放射線科、神経外科がセットで行うのが標準だろう。しかし日本は神経内科医の数が少ないので、どうしてもその部分を背負ってきた経緯がある。それだけやってきたんだから評価してくれという声もあるが、しかし今後も150人でそれを背負っていくのか考えたら今後は続けられないだろう」

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