後期研修班会議7
今まで何回か勉強会の模様をお伝えしてきた「医師のキャリアパスを考える医学生の会」の学生さんたちの中から、東大1グループ、慶應3グループが発表するという面白いスタイル。発表自体は彼らがユーチューブなどに上げると言っていたので、そちらをご覧いただくとして、討論部分から。(こちらが、東大グループのスライド。その発表の模様は こちら)
土屋
「今日の方たちが医学生の標準ではない。(略)普段からよく考えている学生さんたちである。発表を聴いてのコメントとしては、その自信というか怖いもの知らずなところが大胆な提言をするうえでは必要だろうと感じた。(略)学生さんたちの発表について、まず葛西先生コメントを」
と、ここで慶應グループの1人、大西君4年生が
「僕は東大グループの発表に賛成しているわけではないので、一緒にしないでほしい」と注文をつける。
葛西
「非常に勇気づけられた。私自身も家庭医を専門医として育てるシステムづくりを仕事としているが、学生さんたちが皆真剣に考えて、その結果専門医としての家庭医が必要であるとの結論を出したことに勇気づけられる。彼らが後期研修を受ける時には、ちゃんとそういう道があるようにしたいし、そうなれば私達が引退した後の日本の医療もよい状態だろうと思える。発表の中で家庭医トレーニングへの不安が挙がっていたが、前回の3学会代表を招いた会議の時に日本家庭医学会から説明があったように様々な科をローテートしながら総合医としての能力を身につけていく後期研修プログラムを作成しており、全国に80ほどある。3学会合同後も、それをベースに発展していけば不安は解消されるのでないか。学問への不安もあったが、世界を見れば例えばオランダのように臨床の大学院と博士号とを両立させているコースはある。日本でもそういう風にしたい」
土屋
「では、東大グループへのコメントなり質問なり」
岡井
「端的に言うと、課外活動の重要性を強調したんだと思うが、こちらとして本当に聴きたかったのはプログラムの組み合わせの話。特に臨床実習の意義や有用性をどう考えているか、だ。私たちが学生のころは、正直あんまり勉強にならんし、しなくてもいいんじゃないかと思った。卒後にも臨床研修がある中でどれだけの意義を感じているのか。それから現状では学部へ来て基礎を学ばせてから臨床へという流れだが、最初から基礎が好きな人も中にはいるが、たいていの学生は臨床をやった後に基礎が面白くなるんだと思う。同じ時に臨床と基礎を組み合わせるとモチベーションが上がったり吸収力が上がったりするんじゃないかと思うのだが、それについて聴きたい」
森田(東大3年)
「僕等は臨床実習と卒後の研修をあまり分けて考えていない。一人前の医師が育つまでをひとくくりで考えているので。臨床と基礎の同時並行は選択性になれば自ずとそういうことになるので、学生が自分で学びたい時に学びたいものを学べる方がよいんでないかということを提案した」
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長谷川野人というのは、血液内科の長谷川彌人先生(昭和10年卒)のことだと思います。草創期の慶應を支えた教授のお一人です。
私は慶應を卒業して20年になりますが、私が学生の頃も、土屋先生が言われたようなシステムがありました。内科外来の隅に特別診察室というのがあって、教授からの説明で同意された患者さんを、学生たちが診察して、それを後で教授の前で発表して、質疑応答をしていました。
当時のポリクリは大部分が見学レベルでしたので、とても新鮮で、かつ勉強になったことを覚えています。今でも、診察した患者さんのことを断片的に思い出すことがあります。
>maruna先生
ご指摘ありがとうございます。修正いたしました。
発表内容をyoutubeにアップしました。
http://jp.youtube.com/watch?v=gztxbwgyMsE
ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。
>森田様
お疲れさまでした。
引き続き「怖いもの知らず」な活動を見せてください。
班会議にできるだけ傍聴させていただいていますが、今回は若い人の話だったので、医療従事者でない小生もコメントを。
感慨深かったのは、学生気質というものは我が身をみそなわして今昔変わりないものと思ったことと、やはり大学紛争は東大医学部を何一つ変えることは無かったのだとここでもまた思い知らされたことでした。
海外調査で気がかりな点は、日本の皆保険制度とは全く異なる一般税からの医療費全額公費負担という欧州の国々で、無料提供される医療の技術水準がいかようなものであるかを把握した上での発表であったかどうかです。
どんなに技量の優れた医者であっても、許される医療経済の範囲内でしかその腕の振るい様はないことを、どの程度イメージできているのか、と言う点で年齢相応の社会性がついているのか、不安感がよぎりました。
極論すると医者(勤務医の側)に、社会システムとしての医療の経済・コストへの無知・無関心が今日の医療崩壊の原因の一つと言えなくもありません。こんなにひどくなる前に声を上げることができたはずです。それが許されないような心理的縛りを植え付けるパターナリズム教育を受けてきた所為なのだとの自覚が今日勤務医に無ければ、3,4,5年生という学生さんにそれを理解せよというのは無理なことですが。
あの発表を聞いていて、将来こんな医者になりたいんだだからこんな勉強をしたいそれを可能とする教育仮キュラムとしてくれという漠たるイメージの、そのまたかけらでも感じることができればなと思います。
まあ無理かもしれません。そのようなイメージを描ける教育を受けていないという漠たる不安感はお持ちなのでしょうか。
あの学生さん達には、以下の本を是非よんでもらいたいなあと思います。
The Dancing Healers: A Doctor's Journey of Healing with Native Americans by Carl A. Hammerschlag
>日吉和彦様
コメントありがとうございます。
学生さんたちに伝えます。
2009年2月13日発行のMedical Research Information Center (MRIC) メルマガに「背筋が凍った東大医学生の「いい医師とは」のキーワード~明日の臨床研修制度を考えるシンポジウムで感じた2つの違和感」という投稿記事が掲載されました。私は寡聞にして存じ上げないのですが、筆者はIMK高月(株)代表取締役 公認医業経営コンサルタント高月清司 (コウヅキキヨシ)とう方です。
一読して、言葉は激しいのですが、先日私がこのコメント欄で述べた「どんな医者になりたいのかのイメージがはっきりしない」という言葉足らずな言い方を補ってくれているなと思いました。
というのは、私の言い方では、学生さん達はちゃんとイメージを示したではないか、とおっしゃるでしょうからです。
いろいろと壁にぶち当たった成長し、立派な医者になってくださることを祈ってやみません。