世田谷区医師会内科医会講演会
土屋
「乱暴な言い方をすると、パスは望み薄と思っている。定型的な手術なら簡単かもしれないが、しかしそういうものならパスに何も書いてなくても問題ない。きちんと申し送りの必要なものは個別性が高くて、しかも殊がんに関してはエビデンスだって少ないのに、そんな時にパスなんか作れない。いまだ研究段階のものに過ぎないのに、パスをつくることが診療連携拠点病院の条件になっていることの方が問題。たとえば在宅での緩和がスムーズにいくためには、入院中に在宅医が病院に来てくれて話をしてくれる方がずっと大事。知らない医師に診てもらわないといけないということで患者さんが非常に心細くなるのだから、入院中に顔合わせしておくべき。ところが、たとえば在宅医が午後の半日休んで病院に回診に行っても、それに対する報酬はゼロ。交通費すら出ない。普段の午後に20人診療しているなら、その20人分と回診した3人分とか等価になるような報酬体系にしないと。そういうキメ細かさの方がパスなんかよりよほど大事だと思う。そうやって蓄積して行って、一般化できるものが出てきたなら、それをパスにすればよい」
村島(会場)
「私は消化器内科の専門医の学術委員をしている。こういった小さな学会の専門医についてどういう考えをお持ちか、収入との関連でお聞かせ願えれば」
土屋
「専門医を何段階で考えるかの問題だと思う。理念的には2段階がいいのかなと思うのだが、しかし現実には3段目、4段目の専門医もある。一般的に論じるのは2段目までで、それ以降は個別的な話になるだろう。手技の一般化などによって、今は3段目のものが2段目に降りてくることもあるだろうが、今は1段目にも行かない臨床研修で揉めている。あんなのアメリカなら学生教育のレベルと言われてしまうだろう。で、個別に考える時のインセンティブに関してだが、資格に対してというより手技に対してつけた方がよいのでないか。その方が実効性がある」
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