新型インフル エビデンスないからこそオープンに議論を
――日本の場合はどうなっているんですか。
日本ではワクチンの副作用に対する救済策は、予防接種法の法定接種に対するものと任意接種に対するものと2通りに分かれ、法定接種の中でも努力義務の課されている1類と課されていない2類という2つの分類があります。金額はそれぞれですが、共通しているのは救済を受けた後に訴訟もできるということです。特に任意接種に対する救済は一般の医薬品副作用の救済と同じようにPMDA(独立行政法人・医薬品医療機器総合機構)が担っていますが、その給付の原資はメーカーの拠出金なので、メーカーからすると二重に負担を強いられることになり、他の国と比べて突出してリスクが高いことになってしまいます。
この構造が、ドラッグラグ、ワクチンラグの原因の一つになっていることは紛れもない事実です。また、医療を国の成長産業として育てようという場合にも、間違いなくネックになっています。
――なぜ、他国と異なる状況が放置されてきたのですか。
役人は、歴史上、薬害で国が訴えられたら必ず負けると思っているので、副作用と救済の問題は恐ろしくて議論すらできなかったということだと思います。19日の記者会見で、大臣がワクチンだってゼロリスクではないと言ってくださって、ようやくオープンに議論しましょうという土俵に乗ったところです。
――ワクチンにだってリスクはあるんだという認識が共有されれば、他国と同じような制度をつくれますか。
そんなに簡単な話ではないと思います。ワクチン被害救済について議論するにはワクチンの副作用リスクと、病気で死ぬリスクとを天秤にかけて、その上で被害に遭ったらいくら払うかというのもオープンに国民が議論を尽くして決める必要があります。しかし今回に関しては、副作用リスクも、病気で死ぬリスクも未知です。参考にできるものとして、過去の季節性インフルではどうだったかとか、過去の新型ワクチンの副作用はどうだったかというデータを眺めながら手探りで進んでいくしかないのです。
しかし、このように未知のものに対して判断を下すということを日本人は忌避してきたと思います。科学的根拠なんかないんですから、理念に立ち返って、最終的にはどれかひとつに決め打ちするしかありません。過去には米国でも、インフルエンザに対する新型ワクチンによる薬害が発生して、CDCの長官が更迭される出来事までありました。しかし、その経験を踏まえて先ほど説明したような無過失補償制度が成立しているわけです。未知のものに触れた際に、国民が喧々諤々の議論を重ねて、失敗からも学びながら少しずつ進歩してきたのだと思います。
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