新型インフル エビデンスないからこそオープンに議論を
――先生は何を目的に対策すべきと思いますか。
国民の判断を仰ぐということです。今回は、判断の根拠となるエビデンスがほとんどありません。ですから、最後は理念優先とか、専門家による政治的判断にならざるを得ないのです。途中の議論経過やデータを説明せずに結論だけ示して、これに従えと言っても国民は絶対に納得しないと思います。何が分かっていて何が分からないのか、季節性インフルエンザや過去の事例におけるエビデンスを示し、どういう可能性があるのか、議論を全部つまびらかにするしかないと思います。分からないことは分からないし、今後も状況次第で変わりうるということまで含めて全部公開して、そのうえで議論して決めるしかないと思います。
――国民にそれだけの素地がありますか。
あると思います。不確実であっても判断の材料となるエビデンスを医系技官があまり公開せず、報道もされていないのが問題です。もっと数字や事実を挙げながら、幅広く議論する必要があります。それに、「お上頼み」の発想から抜けない限り、道も開けません。
これは医師を始めとする医療者に対しても言えることです。国に何とかしてくれというばかりで、それを疑問に思わない人もいます。薬剤師も看護師も同じです。そもそも日本での西洋医療が、明治政府が漢方医を排斥し蘭法医だけを医師として認めたところから始まっているので、お上に与えられた資格という意識が抜けないのかもしれません。もっと自律する必要があると思います。
話が脱線気味ですが、この機会に言っておくと、お上に与えられた制度から自律しようという動きがあまりなかったから、医系技官が診療報酬を抑制して補助金を増やすという構造になってしまったんです。補助金なんて、そのうちいくらが患者のために使われたのかデータは一切出てきてません。執行率が低いものも多く、現場の医師たちは「補助金なんて使えない」ことをよく知っています。利権ができて医系技官が天下りするだけです。同じ金額を診療報酬に入れれば100%患者のもとへ届くのに、このデータを明らかにしたら国民はどう思うでしょう。
――その問題は、ロハス・メディカル誌でも最近取り扱いましたが、話が深いところまで来ましたね。
新型インフルエンザに襲われたことは災難ですが、いずれ日本人が直面しなければならなかった問題と向き合う時が来たのだと覚悟を決めるしかないと思います。
この覚悟が、すべての問題につながっています。たとえば、ドラッグラグを解消するには世界同時治験に参加することが必要です。でも、そうすると世界のどこにもデータがない段階から治験に参加することになるので、日本人は今までより大きなリスクを引き受けなければならなくなります。一時が万事そういう話で、覚悟はありますか、万が一に備えた受け皿を作っていますかという話をしなければならないのです。たとえ被害を受ける人の数が少なくても、それを見捨てるのではなく国民全体で支えるんだという意識が共有されない限り、いつまで経っても世界から遅れたままになります。
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