村重
「皆さんあまり積極的ではなかったんですね」
坂田
「そうですね。21年5月、最初の研究班会議で野村総研に行った時、班長がまず『僕はこの班長をやりたくなかったんだ』と真っ赤な顔をして言われました。それを聴いた時に、とてもショックというか悲しくなっちゃったんですね。ああ、やりたくない方と今からやっていかなくちゃいけないんだと、これが現実なんだなというのを見せつけられた感じがしました。それと同時に自分がしっかりしなくちゃいけないんだと覚悟しました」
村重
「母体だった検討会の方も、色々な立場の色々な思惑があり、それぞれに関心がちょっとずつ違っていたり、メリット・デメリットも立場によって違っている人たちが集まっていたので、研究班の方も厚労省の役人と近い人たちがいて、野村総研が事務局をやっていて、坂田さんのような方も入って、なかなか全員の興味の対象や思いが一致しないところもあっただろうと想像します。本当は再発防止のために過去の検証をすべきということで始まったはずなんですけど、そこは本当にご苦労なさったのでしょうね」
坂田
「班員たちの中に、『今さら検証なんて』という考えがあったんだと思います。でも、私の中では検証しなければ何の出発もないんだということはすごく感じていましたので、そこだけは絶対に譲れないと思ったんです。彼らからすれば、こんなおばさんに何ができるんだと思われていたかもしれません。私は何の知識もありませんけれど、自分たちがなぜ被害者にならなかればならなかったのかという一点が知りたくて知りたくて、自分でやるしかないと思って。厚生労働省に対して、あと企業に対して、質問状の作成から入りまして、それから投げかけて回答をいただいて、それでも分からない部分についてヒアリングしようかなと自分なりに組み立てました。それでやはり、どうしても直接当時の方々に聴きたいという部分が出てきて、それで厚生労働省と企業関係合計13人のヒアリングをさせていただきました」」
村重
「知りたいという熱意が支えていたんですね」
坂田
「研究班会議は自分にとって苦痛でした。でも班会議は1日も休まず出席しました。薬害肝炎原告団の中でも亡くなっていった人たちがいますから、そういう人たちの顔が浮かぶんですよね。適当に済ませたらいけないと、その一念でした。それと私をバックアップしていただいた野村総研のメンバーの方々と、それから厚生労働省の官僚の方々には本当にとても感謝しています。私をいつも心から支えていただきました。彼らがいなかったら、ここまでやり遂げられなかっただろうと思います」
村重
「坂田さんの熱意に周りのみんながついてきて、段々と動くようになったのでしょうね。最後は一つになったとおっしゃってましたね。本当に坂田さんのご尽力があってのことだと思います。ところで検証をしてみてお感じになったことを教えてください」