議連発足記念・真の公聴会
内田絵子・NPO法人がん患者団体支援機構副理事長・NPO法人ブーゲンビリア理事長
「会場の皆さん、この中で医療提供者は手を挙げてほしい」
ザッと見回した限り6割くらいが手を上げただろうか。
「では患者さんは」
1割くらいだろうか。
「国を挙げての重要な会議というからには参加者は50対50が原則と思う。私も声をかけて集めたいけれど、今後はそういう視点で取り組んでいただきたい。陳述人にしても9人のうち2人しか患者側がいない。さて、患者が望むもの。それは医療の安全であり、医療の質である。安心して受けたい、自分でよいと思うものを選択したい。それにはどうしたらよいのか。病院情報、医療情報を開示してほしい。中には不名誉なものも含まれるだろう。それを見たうえで患者が判断できるよう開示してほしい。それから事故を解決するための中立公正な受け皿をつくってほしい。医療者と患者、メディア、政治家とのコラボレーションが必要である。このような会合を継続的に開催していただき、医療者と患者の風通しをよくすることで、誤解も払拭されていくであろう。そのようなコラボレーションの成功例としては、がん対策基本法とがん対策推進基本計画の策定を見本にすればよかろう。受益者である患者が参画したことによって、あのようなものができた。グランドデザインを考える時にも一緒に考えていきたい。次回は登壇者が半々というのを望む。今回は医療提供者ばかりで患者不在を感じた。キーワードは負担と給付。後ほどまた述べる」
この晩の内田絵子さんの発言は医療者たちから評判が悪いようだ。たしかに若干空回りしていた感はあるが、実は重要なことを言っていると思うので私なりに解釈したところを補ってみる。
医療費を増やすことで利益を得るのは患者であり医療者である。対して健常者が大半を占める国民は、自ら予備群であったり家族であったりはするが、単純に言うと、彼らにとって医療より重要なことがある場合、医療費増額は彼らの利益に反する。そうした人たちの利益代表者である国会議員も多数存在している。つまり患者と医療者とは、国民全体の中ではマイナーな存在であり
かつ利害の一致する存在なのである。患者を巻き込まないで、どうやって国民全体に訴えていくつもりだ、と内田絵子さんは憤っているのだと思う。それが最後の「ボヤキ」という痛烈な一言に集約されている。
内田健夫・日本医師会常任理事
「わが国は最低水準の医療費で最高水準の医療を提供してきた。皆保険制とか健診の普及とか要因はあるが、何といっても医療従事者の献身で支えてきた。しかし極端な財政優先策によって、危機に瀕している。また患者国民との意識の隔たりも医療従事者を苦しめているだろう。これまでは何とかがんばってきたが、何かあると医療従事者を責める風潮があって危機的になっている。必要な時に必要な医療が受けられることが大前提であるが、御承知のように医師不足であるし、たとえ医師が増えても病院に雇う余裕がない。誰もがお金の心配をせず医療を受けられるのも大前提のはずだが、現実にはそうでなくなりつつある。負担の面でも格差ができつつある。民間の医療保険は米国などの例を見ると、3割が保険会社の経費になっている。そういう保険になってしまってよいのか。それからお任せ医療からインフォームドコンセント重視が言われるようになって、でも患者側が過大な期待を抱いているために医療を萎縮させている面もある」
嘉山孝正・山形大学医学部長
「まず大きな目から。グランドデザインとして医療費亡国論がハバを利かせている。しかし医療と教育にお金をかけない国は衰退するというので、ヨーロッパではずっとお金をかけてきている。日本の医療はWHOの判定で世界最高である。一方何かというとメディアにとりあげられる米国は15位に過ぎない。国民に情報がきちんと伝わっていないので、医療者ともどもお互いに不幸。しかも、それを国際的に見て非常に少ない医療スタッフで支えてきた。現場の医師が疲弊しているのは当然であり、医療にあまりお金をかけずにやってきたのが限界にきている。内田さんが安全と質を求めると言ったが、それを求めるには人とお金が必要である。事故情報などの開示についても、全国80の大学病院では既に始めている。あとは患者家族の救済策を国か日本医師会が作ってくれるとよいのでないか。もう一つ診療関連死の調査委員会第三次試案について述べる。果たして実現可能なのか。あの通りに始まったら、ただでさえ医師不足なのに、患者さんを診るより事故調査をする方に医師が割かれるようになる。そうなった時に誰が責任をとるのか。患者さんを救うと言いつつ、結果がよい方に向かっていかないであろう。正しい情報を国民の皆さんと共有して、裁判によらない信頼関係構築の必要性があるだろう」
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