医療崩壊と司法の論理
休憩を挟んで登壇した小松部長は、ジュリストに投稿した論文に基づいて法の限界と法律家の独善を強く指摘した。論文に書かれていないことだが「法が社会を壊す例」も挙げた。姉歯対震強度偽装に端を発した建築基準法改正が行われ、その結果、審査が滞って住宅などの新規着工が半分以下になりGDPが年1%下がりそうだという現在進行形の話である。医療事故調の問題点を世の中の人に訴えるとき、この例は分かりやすいかもしれないなと思った。
和田 法の論理と医の論理、小松先生の言葉では規範と認知の齟齬ですね、それが鮮明になってきた。では、さてさてどうするかということで法律家3人と医療者3人でディスカッションをしていただこうと思いますが、その前に井上先生、長谷川先生に10分程度で少しお話しいただけるでしょうか。
井上 安心の医療、患者さんの期待・納得、こういう言葉がブームというか通り相場になっている。これを正当という前提で受け止めるか。私は普段病院の代理人として実務に当たっている弁護士ですが、司法で期待・納得が当然の前提になっていることはおかしいと思う。
司法の人と話をすると、保険診療ではなく自由診療を前提に法理論を組み立てている。ファクターとして保険が入っていない。ちなみに「国民の健康」が憲法に明文化されているのは私が知る限り日本だけ。それくらい重要な位置づけの中で皆保険もあるのだと理解しているが、前線でクレームをつける患者さんや家族と対峙していると「納得いかない」と言われる。納得とか期待が法律に入り込んでいると思う。
平成7年に『診療契約に基づいて当該医療機関に要求される医療水準』という判決が出ます。それまでは、良いか悪いかは別にして、医療の実情に寄り添おうという態度の判決が多かったのすが、ここで実質的に判例変更が行われたと理解しています。
どういうことか。この中で、患者さんとの間で診療契約書を結んだことのある人いますか? 契約はフィクションに過ぎないのに、当然の実在として法の上では扱っている。
契約とは相対立する当事者の意思表示の合致です。お互いに釣り合いが取れないといけない。患者の意思としては、期待・納得という大きなものが入り込んでいる。これと保険診療で釣り合いが取れますか。保険診療では勝手なことをやっちゃいけないのだし、しかも医療費が抑制されている。釣り合いが取れるとしたら、応召義務を外すことと医療費を桁違いに高額にすることが必要でないか。
現状では、あまりにもシーソーが傾いているのに、司法関係者の頭の中にはその話が入っていない。国民皆保険制度を続けた方がよいと思う。そのためには司法の中に、期待とか納得とか安心とかを取り込むのはバランスが悪い。
長谷川 自治医大のICUナースが偶然乗っていたハワイから日本へ向かうJALの機内で、心臓発作を起こして倒れた人がいた。ドクターコールがかかったけれど乗っていなくて、そこでそのナースが地上のドクターと連絡を取りながら救命措置にあたり、幸い何の後遺症もなく回復させたという。この例などを考えると、どこから診療契約がスタートしているか、そんなものないし、実はすごいラッキーが重なっている。ICUのナースというのは優秀だし蘇生措置にも慣れている。たとえば眼科の方がいたら申し訳ないけれど、ドクターでも眼科だったらダメだったんじゃないか、とか。何もなければ亡くなる方を助けようとして助けられたという例なんだけれど、この方が亡くなっていたらどうなるのか、もし刑事責任を問われるのだとしたら悲しいと思う。
フェルドマンという米国の法学者に尋ねたら、米国ではnegligence(過失)は刑事では扱わない、criminal(犯罪)を刑事で扱うということだった。一体いつから日本では犯罪者と、患者を助けようとした結果とを同じに裁くようになったのかと思うのだが、フェルドマンが言うには、negligenceを刑事で扱うと、「sharp end」すなわち最前線で患者さんと誠実に向き合っている人たちが罪に問われることになる、と。法律家は色々言うけれど、この矛盾については何も言わないじゃないかと思う。
それから「判例の個別性」の話があったが、ならば何か事が起きた時に「判例ではこうなっている」と言うのはおかしいじゃないか。それから一般性を抽出してくる時に経済状態が入ってこないのだけれど、医療は経済に大きく左右される。それから、判例を後世の知見で批判するのはフェアでないという話もあったが、それならば医療行為を後から批判するのはフェアなのか。亀田の例では、よくもこんな短時間に原因を突き止めたというべきで、むしろ多くの場合は、一体何が起きているのか誰にも分からないという状況の中で、時間的制約もあって圧倒的に少ない情報の中で判断しなきゃいけない。
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