医療崩壊と司法の論理
小松 厚労省の第二次試案は大きな問題。そのめざすところは法的責任追及そのもの。過去の事件を見直して基準を作り、届け出を義務化しペナルティを科すという。これをすると現場であつれきが高まり対立構造を呼ぶ。現在では院内事故調査というのは非常に真っ当にやっている。患者さんが気づいていないようなことまでミスはきちんとチェックされている。それをするために、実質的に院内ではヒューマンエラーを処罰しない。ところが今回の試案では院内調査も活用すると言っている。自分も処罰される可能性があるという前提で話をしなければいけない。ある看護師長と話をしたら、「私だったら弁護士と相談してガチガチに内容を固めてから話す」と言った。それが当然だと思う。そんなことになったら院内調査の前提が崩れて、医療安全の取り組みがやりにくくなる。
患者と医療者、管理者と現場、厚労省と現場にあつれきと対立構造を呼び込むものだ。
科学では、正しいか正しくないかは、仮説的真理、一過性の無謬性を持つに過ぎない、誰かが権威づけるようなものではない。調査結果といえども相対的なもので一過性のもの、そのように扱った方が世の中うまくいく。国家がやるべきものでないし、たとえ大組織を作っても、病理・法医の絶対数が足りないので成立しない。
中田 事故調の話は、どう考えても腑に落ちない。自分のミスを届け出ることを義務化しながら刑事にも使うという。憲法に書いてある「何人も、自己の不利益な供述を強要されない」と違う。それから日本は三権分立の国のはずなのに、今回の試案では行政庁が司法分野まで食い込んでいる。そもそもの形がおかしいのでないか。
長谷川 帝京大が敗訴した例で考えてみれば、もっと早くに医療が介入できたのでないかという観点は成り立つ。そういった次にどうするかを考えていくことに税金を使ってやってくれるのなら大歓迎だが、この試案が成立すると学習・反省できなくなってしまう。そういう制度設計になっちゃっている。
和田 医の論理、法の論理、それに患者の視点から見ても、不幸な事例を次に生かしていこうという主体的なイニシアチブを奪うシステムになっている。既に21条でさえ、患者遺族の意向を無視した届出によって医療現場で軋轢を生んでいる。次につなぐのは当事者であるべきで、行政が次につないでいくのはおかしい。
一言だけ先ほどの「金よこせ」には異論がある。患者遺族が必ずしも金を望んでいない場合でも、損害賠償請求の形でしか訴訟を起こせないという法の影響は強い。
小松 既に影響は出始めている。北の方の大学病院で合併症の報告を論文にしたら、それを根拠に訴えられたというのがあったそうだ。今年半ばから、合併症や副作用の報告がもの凄く減っているという報告もあった。
和田 法律家は堅い人ばかりではない。しかし司法には守るべきものがあって、大きく踏み込むことができないというのも確かにある。確実に影響が出ている時に、どう何ができるのか。
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