村重
「あの検討会は、訴訟で国が原告団と和解して、その後に定期協議を始めて、それで始まったんですよね。和解して、それで終わりではなくて、きちんと検証と将来に向けた見直しをやるんだということで。しかもあのメンバーが、いつものような役人の人選じゃないんですよね。舛添大臣が号令をかけて、しっかり肝炎の問題を検証すると、行政を見直すとおっしゃって立ちあげた検討会なので、ご自身も会議に出席しておられましたし、直接委員の方々とディスカッションされたりして、本当に再発を防ぐんだという強い思いを皆さん共通に持てていたんだと思いますね」
坂田
「舛添大臣だったからできたことと思っています」
村重
「メンバーの人選にしてもそうですね。それがなければ、あれだけ自由な議論はできなかったと思います」
坂田
「できなかったでしょうね」
村重
「坂田さんは、福田衣里子さんと交代で委員に入られましたけれど、その頃のいきさつは」
坂田
「何しろ私は検証というのにとっても興味があってですね、なぜ私たちが被害者にならなければならなかったんだろうと、そこがあって。原告団の中で恒久班とか検証班とかあって、いろいろ分かれながらやっていますが、その中で私は検証班の中に入りまして、必ず検証委員会を傍聴していたんですね。その中で、福田さんが衆院選に出るということが決まりまして、代わりを私にという話が来たんですけど、本当、私は体力的についていけないと思ったし、頭の回転が悪い、横文字読めない理解できない、熊本弁しか話せないとか、体力がついてかないとか10項目ぐらい並べ立てて、弁護団にメールしました。だからもうお断りし続けてきたんですよ。だけど毎回傍聴をしている、やる気がほしいんだと言われまして、福田さんからもお願いしたいということだったんで、最後には主人が背中を押してくれました。家のことも、ちゃんと犬の散歩もするからやってきなさいということで、それで一大決心をしました」