村重
「検討会に参加されるようになってからも、ご主人のサポートがあったんですね」
坂田
「そうですね。だいたい月に5~6回上京してましたんで、検討会と班会議、原告団の活動と合わせてですね。だから熊本にいなかったし、熊本にいてもパソコンの前で要望書作成とかメールのやりとりとか、そんな感じで家事も全然できない。だから家の中は人間が住むようにはなってなくてですね。もう大変だったんですけど。家族には本当にさびしい思いをさせてしまいました」
村重
「本当にご家族ぐるみで頑張ってくださったんですね」
坂田
「そうですね。家族の理解がなかったら、できなかったことだと思います。それで、二度と私たちのような体験をさせたらいけないと思ってやってきました。その意味では、厚生労働省の体質も変えていただかないと。それを一番感じたのは青森の集団感染の時の対応です。院内感染じゃないかとか色々疑われていたようですが、なぜその時に現地へ行かなかったのかと、それがとってもありました。忙しかったからとか、少人数だったからとか言い訳はいっぱいされるんですけれど、平成14年の裁判の前には報告書で上がっているように、先輩たちのやったことを実際、徹底的に厚生労働省は調べあげてますから。その時には一番に青森のその医者のところに行っているんですよ。何だ、行けるじゃないかと」
村重
「国民のためには行かないけれど、先輩のためには行くということですよね」
坂田
「だから本当に現場主義というのを徹底していただきたい、動いていただきたい。それはとても感じましたね」
村重
「そこを誰に期待するかですよね」