「どこでボタンをかけ違えたのか」 宮台真司氏講演 ~現場からの医療改革推進協議会より
で、さらに私の母が一昨年に死んだんですね。その時に葬儀屋に訊きました。『最近の葬儀の特徴は何ですか』と。『規模が小さくなりました。密葬ないし家族葬が大半です』『それはなぜですか』『たぶん家族も親族も少ないし、昔のように職場の人がこぞって見に来てくれることもない、手伝ってくれることもない。 だったら大々的に葬式やって恥かくよりも、まあコッソリやりましょうみたいのがあって』。これは公益社という会社の人がおっしゃってたんだけれども、葬式はもう儲からないんですよ、という風に言ってました。
今から5年前にNHKの番組、スペシャルがきっかけで孤独死、つまり誰にも看取られずに気づかれずに死んでいく人のことが話題になりました。今年に入って無縁死、これ実は昨年から一部で話題になっていたんだけれども、まあ普通に死んでるわけですね。関係者もいる、身よりも分かってる、でも遺骨も遺品も誰も取りに来ない。東大病院で葬儀を出さないというのと、よく似たケースですよね。
つまり日本社会はもうデタラメな社会になっている、社会自体が。で、なんでこういう風になったのかという理解の切り口を直近で探すと、夏の参議院選挙ですよね。衆参の議席数がねじれたことが話題になっているけれど、そんなことはどうでもいいんです、どこでもあることだから。むしろ都市部と農村部でですね、ある種、イデオロギー的にねじれたことが起こったのが、私に言わせると大問題なんですね。
政治統計学的に言うと、今回の民主党の大敗は、民主党にお灸を据える投票です。従って自民党復活の目は全くありません。これもどうでもいいことで すね。都市部では、みんなの党イコール市場主義の政党に票が入って民主党にお灸が据えられ、農村部では、今回JAが集票に動いているんですけれども、農村部では農協的自民党に票を入れることによって民主党にお灸が据えられたんですね。つまり、そこでは市場主義 対 再配分主義という対立がある。しかし、こ れはハッキリ言って政治哲学的に言うと暗澹たる図式です。なぜならば20年以上前にアメリカやヨーロッパでは、この図式は、ほぼ完全に捨てられました。
じゃあ今どういう図式が存在するのかというと、共同体が自立しているのか依存しているのかということです。つまり市場であれ国家であれ、共同体が過剰に依存し過ぎている場合には安全保障的な観点で危ないというような発想が共有されたんですね。日本だけがこれを共有していない。その証拠をお見せします。