東日本大震災と東北大学医学部定員増計画
■ 東日本大震災の直後
【山本雅之氏(東北大学大学院医学系研究科長・医学部長)】
次のスライドをお願いします。これはちょっと暗い写真になっていますけれども、ちょうど3月11日の夜です。
私どもの医学部は非常に揺れまして、それでもう建物の中にいられないので、構成員が皆体育館に避難した様子です。この夜は雪が降ってきて、寒くて厳しい思いをしました。
次のスライドをお願いします。
厳しい思いをしたのは医学部の私どもだけではなくて、これは皆東北大の先輩がつくった病院なのですけれども、赤で示してありますような病院は沿岸部の病院で、ほとんど流されてしまいました。
それでそこにありますように、幸いにして残った基幹病院、気仙沼市立病院と石巻日赤病院、これらが大車輪で活動しました。
それで、私どものところは、地震の次の日から、医療支援チームをそちらに派遣して、避難所、それから病院の復旧に協力をしてまいりました。
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それで、すぐに困ったことは、物流が途絶えましたので、食べ物が入ってこない。それから生活物資も入ってこないということです。
救援に行っている私どもの医学チームは、お店の前に並んで買い出しするわけにいきませんので、皆飢えてきています。それから東北大病院の備蓄も尽きていて、患者さんに食べさせるものもなくなる心配が出てきました。
そこで、全国の医学部の皆さん、それから関係者の皆さんに緊急にご支援をお願いして、支援物資を積んだトラックをチャーターして道路を走らせました。これは荷物を受け取っている様子です。
このような荷物が救援に当たっている医師の生活を支えました。それから公的な支援が入るのに時間がかかりましたので、最初の2週間ほどは、避難所に行く医療チームにたくさんの物資を持たせて、支援に当たっていました。
全国の皆さんから大変温かいご支援をいただきました。支援をいただいた皆様に、この場を借りてお礼を申し上げます。
【目次】
P2 → 東日本大震災の直後
P3 → 東北大学医学系研究科の復興計画案
P4 → 地域医療の復旧から復興へ
P5 → 東北大学医学系研究科の取組
P6 → 震災復興と入学定員増
P7 → 医師・医療系職業人の育成
P8 → 東北大学医学部卒業生数
P9 → 東北大学医学系研究科における教育
P10 → 東北大学医学部医学科の定員増計画
P11 → 定員増計画の背景
P12 → 研修医マッチング
P13 → 医学部の認証問題
P14 → 災害に関する教育
P15 → まとめ
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