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ニュース〜医療の今がわかる

村重直子の眼7 坂田和江・薬害肝炎検証委員会委員(中)


坂田
「でも、子育ても満足にできないしですね、年子だったし、お姉ちゃんがとても活発な子でチョロチョロ動き回るんですけど、追いかけていけないんですよ。だからイスに座って、いっつも怒鳴ってたんですね。『こらっ、そっちに行ったらダメ』みたいな感じでですね。当時、新興住宅街に住んでましたので、近所の同じ世代の人たちから、坂田さんたら怒鳴ってばっかりで子育てダメじゃないと言われてですね、もう本当に落ち込んだことがありました。この2人を育てていけるんだろうかとか、とても悩んだ時期がありまして。まともに家事ができないので主人とも、洗濯機のスイッチを押しに行くのもつらいんです。で、食事の後片付けとかも流しにたまっちゃう。そうしたら主人が夜遅く仕事に疲れ果てて帰って来た日とか、『何にもやっとらんじゃないか』みたいに怒鳴られてですね、そんな時には『もっと健康な女性と結婚すればいいったい』みたいな感じで、そう言いながら、離婚届を3回くらい書いた記憶もありますけれど、なぜか別れずにきましたね。感謝ですが。そんな状態で子育てをしていたある日、山口さんがテレビに出てるんですよね。何だろうと思ったら、フィブリノゲンとか血液製剤とか言っているわけです。あの時一緒に入院してたよねと思いながら、主人に山口さんがテレビに出てたよということを言って、それで色々調べる中で、もしかしてというのがよぎりまして、そして熊本原告の出田さんも提訴されまして、弁護士からは坂田さんもぜひ原告にと言われたんですけれど、私はもうそれどころじゃないと。やっと生きているような状態で、子育ても満足にできないのに、国が相手とか、大きな製薬会社が相手とかとっても大きな壁を感じたんです。私にはできるわけない。原告なんて、とんでもありませんと」

村重
「最初は断られた」

坂田
「弁護団の事務局長から、裁判だけでも傍聴にいらっしゃいと言われて、それでまあ半年ぐらい裁判の傍聴をしたんですね。で、傍聴をしているうちに怒りというか、現実を知ったというか、怒りが自分の中にふつふつと沸いてくるのを感じまして、家に帰って原告になりたいということを言いました。そうしたら、分かったと言ってくれて、ただ娘がまだ中学生と高校生だったので、絶対に実名は出してくれるなと、お母さんの顔とかみんなに分かったら困るというので、最後まで匿名でお願いと。で匿名原告として九州原告21番として提訴しました。原因がフィブリノゲンというのが分かった時には、これが原因だったんだ。私が怠慢じゃなかったんだとホッとしたのと、同時にやりきれないというか怒りというもも湧いてきましたね。原告になって何年もつらい闘いでしたけど、団長の山口さんとの出会いをはじめ原告たちとの出会い、支援者の方々との出会いは私にとって、今は宝です」

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