村重直子の眼6・井上清成弁護士
井上
「落差の部分を個別に裁判でやればいいじゃないかという政策を取ってしまうと、何のために公平な金額を皆に補償しようとしたのかということが分からなくなる。被害を受けた方が、つらい中で弁護士を頼んだり支援を受けながら必死で裁判をやって自分の被害を何とかカバーして行くというのは、その人個人を評価すれば偉いと思います。それ自体、個人をとった場合には何も非難すべきことはないですけれど、それを皆がやっていったとしたら、もしくはできない人もいたら。できないというのは能力だけの問題ではなくて、諸環境もあるでしょうから、そこにまた落差ができてしまったとしたら、何のために無理して公平さの中に適正さを求めたのか分からなくなってしまいます。これが一番大きいです。皆保険で、皆が満足快適100%というのは、実際には絵空事だと思うんです。多少なりとも我慢しながら、皆がトータルでハッピーになろうとしている時に、裏の方では頑張っただけ差があるというのは、表と裏で違いがあるのでうまくいかないと思います」
村重
「そうですね」
井上
「ただ弁護士風に言えば、難しいのは、本来は権利があるんじゃないのか、それをなくしていいのか、という側面もあるわけです。全体の中で押し潰すという風に、人によっては受け取るかもしれません」
村重
「それについては、どちらを取るか選択できるのであれば克服できるのでないかと思います。落差の分が大きいと、選択と言っても実質的な意味がなくなりますが、公平さの中に適正さをなんとか入れることができるなら、裁判という『頑張り料』分はもらわなくても、少し安いけれど、簡便な手続きで、皆で支えてもらったお金を受け取る裏の皆保険か、裁判か、どちらか選んでねというのはあり得るんでないかと思います」
井上
「それがアメリカで現実にやられている形ですよね」
村重
「そうですね。アメリカとフランスで」
井上
「典型的なアメリカのは、選択をして、もらうなら終わり。リスクまでトータルに考えて裁判やるぞという場合はもらわない。たとえ裁判に負けたからといって戻ってもらうことはできないと。チャンスを本人が主体的に選ぶということでクリアしています」
村重
「本人の意思で選ぶということであれば、権利を制限したことにはならないと思います」