村重直子の眼6・井上清成弁護士
村重
「だから、もうやってられないということで診療所とか病院を閉めるという話になってきます」
井上
「なってきますよね。経済的に見て、あまりにもアンバランスが行き過ぎれば、当然途中で破綻しちゃいますね。精神論でカバーできる方が美しいけれど、ものには限度があります。医療費をアメリカ並みに高騰させるわけにはいかないのだとしたら、補償の部分も、皆で議論しながら、イチ、ニのサンでやらないといけない時期にきているんじゃないかと思います」
村重
「一応、日本にも無過失補償かのように見えるものがありますけれど、でも日本の法制度は、明示的でないかもしれませんが、補償のコンセプトの中で誰かの過失を想定してますよね」
井上
「そうです。日本のは、無過失と言いつつ、誰の責任かということは非常に意識していて、とりあえず問わないよと言いながら、最終的には過失のある人に責任を負わせるという摩訶不思議な制度です。無過失補償とは過失を問わないものなのに、結局問うています」
村重
「本来の無過失というのは救済だけを考えるものですよね」
井上
「救済の局面は、それだけで終わりということです。加害者がいて被害者がいてというリンクを切って、被害者救済だけするのが無過失。本当の原状回復は無理にしても、できるだけ元に戻しましょうというもの。だからといって加害者を放っておくということではなくて、それは別のシステムで扱います。放っておくのは、世の中の秩序としてアンバランスが生じてしまうので、これはまたあり得ませんね。ただし補償を通した何かではなくて、制裁なのか教育研修なのか、別建てのシステムが必要になります。これができて初めて被害者救済だけを扱えるということにもなるわけです。加害者がやりたい放題というとバランスが悪いので、責任というか、今後どうしていくのかということをシステムで解消していく必要はあります」
村重
「そういう加害者が明確な場合はということですよね。加害なく被害が生じる場合も多くあるから」
井上
「加害があっても、なくても、何であっても支払う、そこに区別はないというのが無過失補償です。加害者と言われる人がもし存在するならば、別の仕組みで、それが悪い人なら制裁、そうでなければケースによって教育したりということになるでしょう」