後期研修班会議7
江口
「東大と慶應だけが医学部ではないので、アベレージの所のことも考えないといけない。そうすると一つあるのは国家試験が大きな壁になっていることは事実だ。最近ではチュートリアルに早くから入れてというように教育のモデルはかなり変わってきている。そうした時に一番問題になるのは指導医のマンパワーで、指導医が時間的余裕に欠けていること。チューターと言っても診療の片手間にならざるを得ない。教えたいことはあるんだけれど、その時間がないという状態だ。そこを改善しないと先へ進まない。卒前と卒後の境目がハッキリしない所も多い。あり方は益々大事になってくるだろう」
土屋
「卒前と卒後の連続性とか指導医の数の問題は、市中病院に預けてもらってレジデントが学生を教えるように階層化すると同じ実習でも違ってこないか」
江口
「現実にはそういう大学もある。ただ、その際にも指導は診療時間以外であり、指導医側の負担が重いのと、教える側が教育のメドトロジーに熟練しているのかも気になる」
海野
「現場の若い先生の状況を考えたら、今の土屋先生の発言は不可能だ。市中病院では、あまりに医師が大変で辞めちゃってるんだから、学生が行っても教えてくれる人がいない。ただでさえ過酷な若い医師たちにさらに労働を付加することになる」
村重
「理想論としては屋根瓦にして1年生、2年生が現場を仕切るように十分できればいいなと思う。ただ現実問題としては現場の若手は疲弊していて、そういう体制が組めない人数しかいない。今の医療提供体制を崩さず、患者さんに迷惑をかけない形で転換するには大きな課題が残っている」
松村
「学生の面倒をみるのは確かに手間がかかるのだが、しかし医学生はやる気があるので、しばらくするとどんどん自分でできることを考えて動いてくれるようになる。1年ずっと手がかかり続けるんではなくて、1週間もすればやれることをやってくれるようになる。最初の援助さえしてくれれば市中病院でも受け入れはできると思う」
土屋
「他にないか。なければ海野委員の発表を」
海野
「今までの議論が幅広になっているので、提言に向けて、前提を確認しておいた方がよいかなと思う。ビジョンの二大前提(こちら参照)は、よい考えだと思う。厚生労働省に何とかしてもらおうという考え方はやめて、何が必要なのか現場で考えて提示する。それは専門家にしかできないことで、それをせずに国民の理解を得ることはできない。ツールは規制緩和とインセンティブだろう。エンドポイントは、医療提供体制が今はどう考えても持続可能でないので、それを持続可能なものに何とかすること、質とアクセスと経済性を担保すること。
考えているのは、多様性を認めること、全国一律に何かをしましょうと言っても大抵はうまくいかない。それからトレンドに沿うこと。現場の状況に即して改善するなら受け容れられる、しかし流れを止めてもうまくいかない。いかに現場のトレンドを将来の国民のニーズの方向へと誘導できるかなんだろう。で、現場のトレンドとして、専門医療と総合医療との相克があって、これはどちらがどちらへという流れはよく分からない。しかし病院から診療所へと医師の移動があるのは明らかなトレンドだ。それは勤務条件とかリスクとかの要因が影響しているのだろう。ところで、医師の勤務場所を見ると、現在でも36%は診療所にいる。ここが、以前の検討会でも総合診療医がどれ位必要なのかを質問した時にも引っ掛かっているところ。40~50%という話だったけれど、現状でも36%が家庭医的なことをしている。しかしシステムもない、クオリティコントロールもないという点が問題なんだろう。
これから専門医をどうやって育てるのかを考える時、病院の医師が減っているトレンドを無視してはできない。今の病院は、それぞれの分野の医師が少しずつ自分の専門より余分なことをして重なり合って隙間を埋めている。この重複の部分が勿体ないといえば勿体ない。総合診療医を入れる場合には、専門医は重複しないで互いに離れても、隙間を総合診療医が埋めてくれればよいのだろう。
で、これからやらなきゃいけないのは、各科の専門医が少しずつプライマリケアへと移行する時に、その総合医としての質が担保されれば実は足りるんではないか。だからどうやって質を担保するかの仕組みがあればいいような気がする。問題はその仕組みを誰につくってもらうか、で。これから開業する先生がぜひとも取っておこうと思うような制度ならいいのでないか」
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長谷川野人というのは、血液内科の長谷川彌人先生(昭和10年卒)のことだと思います。草創期の慶應を支えた教授のお一人です。
私は慶應を卒業して20年になりますが、私が学生の頃も、土屋先生が言われたようなシステムがありました。内科外来の隅に特別診察室というのがあって、教授からの説明で同意された患者さんを、学生たちが診察して、それを後で教授の前で発表して、質疑応答をしていました。
当時のポリクリは大部分が見学レベルでしたので、とても新鮮で、かつ勉強になったことを覚えています。今でも、診察した患者さんのことを断片的に思い出すことがあります。
>maruna先生
ご指摘ありがとうございます。修正いたしました。
発表内容をyoutubeにアップしました。
http://jp.youtube.com/watch?v=gztxbwgyMsE
ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。
>森田様
お疲れさまでした。
引き続き「怖いもの知らず」な活動を見せてください。
班会議にできるだけ傍聴させていただいていますが、今回は若い人の話だったので、医療従事者でない小生もコメントを。
感慨深かったのは、学生気質というものは我が身をみそなわして今昔変わりないものと思ったことと、やはり大学紛争は東大医学部を何一つ変えることは無かったのだとここでもまた思い知らされたことでした。
海外調査で気がかりな点は、日本の皆保険制度とは全く異なる一般税からの医療費全額公費負担という欧州の国々で、無料提供される医療の技術水準がいかようなものであるかを把握した上での発表であったかどうかです。
どんなに技量の優れた医者であっても、許される医療経済の範囲内でしかその腕の振るい様はないことを、どの程度イメージできているのか、と言う点で年齢相応の社会性がついているのか、不安感がよぎりました。
極論すると医者(勤務医の側)に、社会システムとしての医療の経済・コストへの無知・無関心が今日の医療崩壊の原因の一つと言えなくもありません。こんなにひどくなる前に声を上げることができたはずです。それが許されないような心理的縛りを植え付けるパターナリズム教育を受けてきた所為なのだとの自覚が今日勤務医に無ければ、3,4,5年生という学生さんにそれを理解せよというのは無理なことですが。
あの発表を聞いていて、将来こんな医者になりたいんだだからこんな勉強をしたいそれを可能とする教育仮キュラムとしてくれという漠たるイメージの、そのまたかけらでも感じることができればなと思います。
まあ無理かもしれません。そのようなイメージを描ける教育を受けていないという漠たる不安感はお持ちなのでしょうか。
あの学生さん達には、以下の本を是非よんでもらいたいなあと思います。
The Dancing Healers: A Doctor's Journey of Healing with Native Americans by Carl A. Hammerschlag
>日吉和彦様
コメントありがとうございます。
学生さんたちに伝えます。
2009年2月13日発行のMedical Research Information Center (MRIC) メルマガに「背筋が凍った東大医学生の「いい医師とは」のキーワード~明日の臨床研修制度を考えるシンポジウムで感じた2つの違和感」という投稿記事が掲載されました。私は寡聞にして存じ上げないのですが、筆者はIMK高月(株)代表取締役 公認医業経営コンサルタント高月清司 (コウヅキキヨシ)とう方です。
一読して、言葉は激しいのですが、先日私がこのコメント欄で述べた「どんな医者になりたいのかのイメージがはっきりしない」という言葉足らずな言い方を補ってくれているなと思いました。
というのは、私の言い方では、学生さん達はちゃんとイメージを示したではないか、とおっしゃるでしょうからです。
いろいろと壁にぶち当たった成長し、立派な医者になってくださることを祈ってやみません。