後期研修班会議7
渡辺
「こういうことを決める場合の根拠がない。マッキンゼーに聴いた話でも英国では将来の予測に基づいて適正配置数を割り出していた。まず基礎調査をして現状把握をすることが必要なんでないか。日本はいろいろな情報があるので、結局声の大きな人たちに引っ張られてしまう」
海野
「それを言っていると永遠に始まらない。専門家が自分たちで何人必要なのか言わないと外の人間には絶対に分からない。先日の会合で失望したのは脳外科の人たちが何人必要か分からないということだった。数字がないと議論できない。ぜひ土屋先生、各学会に対して『数字を出せ』と言っていただきたい。それがないと同じことの繰り返しだ。専門家としての責任を果たしていないと思うし、またできたものに文句だけ言うようなことになる」
土屋
「学会ごとの専門医の数字は、専認協の池田先生からアンケート調査をしているところだから、それが出たら情報をもらう。海野先生の指摘は、病院でやっていることの相当部分を診療所でもできるんでないかというところから出ているのか」
海野
「病院では全部が足りないからそういうことも起こりうる」
土屋
「病院の専門医が診療所へ行ってというのは東京都なら考えられるが北海道ではもっと総合的にやらないといけないだろう。地域差が相当ありそうなので、そこは渡辺先生の言うとおりデータを集めないと」
葛西
「基本的なところは共有していると思う。しかし、ここは後期研修について考える班会議なので病院の専門医から開業して総合診療医というところを心配するよりは、まずはきちんと専門医としての家庭医制度を日本にちゃんとつくるところを強調したい。それが学生さんのニーズでもある。世界でも稀な誰でもなれるプライマリケア医ではなく、病院の専門医は専門医としてまっとうしてもらった方がよい」
海野
「それは違う。病院で一生働いたら病院の年齢構成がうまくいかない。どこかで抜けて開業する。それが今のトレンドだ」
葛西
「今のトレンドはその通りだが、年齢があがったらコンサルテーションとか後進の指導に回るとかすればよい」
海野
「専門医から家庭医という流れは成り立たないのか。成り立たないのなら私の提案は荒唐無稽ということになる」
葛西
「今はあってもよい。諸外国の20年以上前の状態だと思う」
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長谷川野人というのは、血液内科の長谷川彌人先生(昭和10年卒)のことだと思います。草創期の慶應を支えた教授のお一人です。
私は慶應を卒業して20年になりますが、私が学生の頃も、土屋先生が言われたようなシステムがありました。内科外来の隅に特別診察室というのがあって、教授からの説明で同意された患者さんを、学生たちが診察して、それを後で教授の前で発表して、質疑応答をしていました。
当時のポリクリは大部分が見学レベルでしたので、とても新鮮で、かつ勉強になったことを覚えています。今でも、診察した患者さんのことを断片的に思い出すことがあります。
>maruna先生
ご指摘ありがとうございます。修正いたしました。
発表内容をyoutubeにアップしました。
http://jp.youtube.com/watch?v=gztxbwgyMsE
ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。
>森田様
お疲れさまでした。
引き続き「怖いもの知らず」な活動を見せてください。
班会議にできるだけ傍聴させていただいていますが、今回は若い人の話だったので、医療従事者でない小生もコメントを。
感慨深かったのは、学生気質というものは我が身をみそなわして今昔変わりないものと思ったことと、やはり大学紛争は東大医学部を何一つ変えることは無かったのだとここでもまた思い知らされたことでした。
海外調査で気がかりな点は、日本の皆保険制度とは全く異なる一般税からの医療費全額公費負担という欧州の国々で、無料提供される医療の技術水準がいかようなものであるかを把握した上での発表であったかどうかです。
どんなに技量の優れた医者であっても、許される医療経済の範囲内でしかその腕の振るい様はないことを、どの程度イメージできているのか、と言う点で年齢相応の社会性がついているのか、不安感がよぎりました。
極論すると医者(勤務医の側)に、社会システムとしての医療の経済・コストへの無知・無関心が今日の医療崩壊の原因の一つと言えなくもありません。こんなにひどくなる前に声を上げることができたはずです。それが許されないような心理的縛りを植え付けるパターナリズム教育を受けてきた所為なのだとの自覚が今日勤務医に無ければ、3,4,5年生という学生さんにそれを理解せよというのは無理なことですが。
あの発表を聞いていて、将来こんな医者になりたいんだだからこんな勉強をしたいそれを可能とする教育仮キュラムとしてくれという漠たるイメージの、そのまたかけらでも感じることができればなと思います。
まあ無理かもしれません。そのようなイメージを描ける教育を受けていないという漠たる不安感はお持ちなのでしょうか。
あの学生さん達には、以下の本を是非よんでもらいたいなあと思います。
The Dancing Healers: A Doctor's Journey of Healing with Native Americans by Carl A. Hammerschlag
>日吉和彦様
コメントありがとうございます。
学生さんたちに伝えます。
2009年2月13日発行のMedical Research Information Center (MRIC) メルマガに「背筋が凍った東大医学生の「いい医師とは」のキーワード~明日の臨床研修制度を考えるシンポジウムで感じた2つの違和感」という投稿記事が掲載されました。私は寡聞にして存じ上げないのですが、筆者はIMK高月(株)代表取締役 公認医業経営コンサルタント高月清司 (コウヅキキヨシ)とう方です。
一読して、言葉は激しいのですが、先日私がこのコメント欄で述べた「どんな医者になりたいのかのイメージがはっきりしない」という言葉足らずな言い方を補ってくれているなと思いました。
というのは、私の言い方では、学生さん達はちゃんとイメージを示したではないか、とおっしゃるでしょうからです。
いろいろと壁にぶち当たった成長し、立派な医者になってくださることを祈ってやみません。