「大地震でジャーナリスト、医療者はどう動いたか―被災地からのレポート」 ①
■ 泰川恵吾氏(医師、ドクターゴン診療所理事長)②
私は訪問診療を専門にしております。得意なところですので、DMATチームと一緒に訪問診療をしました。一軒一軒、訪ねて歩きました。(中略)
あちこち回ったんですけれども、例えばこんな方がいます。(スライドに)やけどが映っていますが、寝たきりのおばあちゃんが寒いので......、暖房がないので使い捨てカイロをずっと身体に付けていたらやけどしちゃったということで、呼ばれて行った。
聴いたら、「心不全を起こしていて、しょっちゅう入院していたんだけど」っていうことで、幸いGEからお預かりしましたポータブルエコー(超音波診断装置)を持っていって、診たりしました。(中略)
第1回はこれで帰ったんですが、そこでちょっとやり残したことがあるので、高校の同級生でヘリコプターの会社を運営しているので、真っ赤なヘリコプターで由比ヶ浜に迎えに来ました。帰って3日目に迎えに来てくれました。(スライド)右下(写真)は飛び上がった時に見えた江ノ島の景色でございます。(中略)
3機編隊で飛んでいきました。気仙沼中学校に村岡先生......、もともと地元の先生ですが、診療所が流されてしまって「鉛筆1本ない、どうしよう」とやっている先生がいらっしゃいまして、この先生と懇意にさせていただきました。
この先生にですね、私が持っている被災地でも使える仕様の電子カルテをお渡しして......。お願いしたのは、一刻も早く診療報酬請求ができるようになること。
それからですね、先ほどのDMATチームの本部にこの情報を......、自分が必要としている薬の情報をリアルタイムに流すことができるシステムですので、それをお渡しするということで、これは最初にお約束した通りに持っていきました。
(スライドは)村岡先生に電子カルテの練習をしていただいているところです。この電子カルテ......、今日は詳細はやめますが、沖縄県宮古島で私が使っておりますが......。
宮古島は常に被災地でして......。5~6年前に台風で風速74メートルっていうのが来まして、全部やられました。うちの車も全滅しました。津波はですね、江戸時代に80メートルの津波が来たという記録が残っておりまして、そんな場所でございます。3週間の停電はしょっちゅうです。
ですから、うちの電子カルテは......。よくあるのは大学病院の中央サーバーシステムですけど、端末のラインが切れると、あるいは停電になると使えなくなります。(中略) 残念ながらこれでは被災地では使えません。
うちのシステムは、各々のノートパソコンに全部コピーを持って回るので、それぞれに切り離されており、自由に動いて使えることができる。数日後に統合すればいいというシステムでございます。そういったものを持っていって渡しました。で、村岡先生の復活を待っているところでございます。(中略)
最後に行った時に、気仙沼の市民会館前の写真を撮ってきました。北海道からの救援の方々がもう既に救援活動を始めておりまして、(被災者が)長い列で、北海道からの支援物資を受け取っていました。これを見て安心して帰ってきたところでございます。ありがとうございました。(拍手)
[田辺功氏(医療ジャーナリスト、元朝日新聞編集委員)]
はい、ありがとうございました。それでは次々といきましょう。
それでは、石井美恵子さん。日本看護協会の方です。看護研修学校の救急看護学科の教官ということでございます。よろしくお願いいたします。
【目次】
P2 → 水巻中正会長(国際医療福祉大学大学院教授)
P3 → 田辺功氏(医療ジャーナリスト、元朝日新聞編集委員)
P4 → 加塩信行氏(医師、永生病院・安藤高朗氏代理)①
P5 → 同②
P6 → 柳川忠廣氏(日本歯科医師会常務理事)①
P7 → 同②
P8 → 泰川恵吾氏(医師、ドクターゴン診療所理事長)①
P9 → 同②
P10 → 石井美恵子氏(日本看護協会)①
P11 → 同②
P12 → 池谷千尋氏(看護師、キャンナス焼津代表)①
P13 → 同②