福島医大型地域医療支援システム
■ 医療崩壊危機の現実化
【福島県立医科大学理事長兼学長・菊地臣一氏】
このような状態の中で医療崩壊危機が2003年に現実化し、これは全国紙、あるいはマスメディアで大々的に取り上げられたことで、皆さんご存じかもしれません。
これが県と大学との連携のきっかけになりました。このきっかけになった只見町というのはどこにあるかというと、非常に小さい町で、しかも、南会津で、新潟県沿いで、人口は約5,000弱、診療所は1つしかない。
一番近い、会津若松市という会津藩があったところですが、そこまで2時間、冬は全くの陸の孤島、少子高齢化、人口減少は日本のトップ集団を走っております。
そこで直ちに手を打たなければならないということで、県の上層部と話してへき地医療支援システムを誕生させました。
これは大学が地域の拠点病院、そしてさらには診療所へと支援する玉突き方式が一つ、もう一つは緊急時には直行便方式でダイレクトに診療所に行くという応援システムです。これについては後から詳しく述べます。
【目次】
P2 → 医師不足状況 ─ 医師数
P3 → 医師不足状況 ─ 地域差
P4 → 医療崩壊危機の現実化
P5 → 福島方式の背景にある理念
P6 → へき地医療支援システム
P7 → 支援教員制度の拡充
P8 → 支援教員制度の確立
P9 → 支援教員制度の利点
P10 → 支援教員制度の総括
P11 → 長期的な医師確保対策①
P12 → 長期的な医師確保対策②
P13 → 長期的な医師確保対策③
P14 → 長期的な医師確保対策④
P15 → 長期的な医師確保対策⑤
P16 → 長期的な医師確保対策の効果
P17 → 「只見町」から現在まで
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