医療事故調検討会17
2つ目はそれに関連して、フィージビリティーの問題がある。つまり、これを拡大したときに、どこまでやれるのだろうかという問題が大きいと思う。それは「第三次試案を前提とした場合の課題」として、いままでは低い解剖の同意率があったからこの程度の件数でしたというのがある。これで国民の理解が進んで、もっとどんどん協力するということになった場合、それから対象となる事例の範囲の拡大も、もしこの大綱案が実現すれば、すぐ起きる。いままで警察に任せていたのを、警察には任せないで医療者がやるという話なのだから、この分だけは絶対に増えることは分かる。それから、受付体制も24時間やりましょうという話になれば、もっと。遺族からの調査依頼だけの件も、医療機関は嫌だと言っても、これはやっぱりやらなければいけないということになれば、件数はどうしても増える。
だから、これまでモデル事業でやってきた経験を踏まえて、これらをどの程度引き受けてやっていけるということなのかどうか。これがいちばん重要な問題だと思っているので、現場でずっと苦労されてきた方々はどんな感じを持っているのか補足していただければ。
3つ目は、こういうことが始まったのは、結局、大きな言葉でいう医療不信というのがあって、それを何とか解消したい、医療に対する信頼を回復させたいと医療者が思ったのだろう。患者のほうも、医療不信のままでいたくはない。このモデル事業あるいは医療安全調査委員会がうまく立ち上がって、きちっとやれたとする。しかし、医療不信ということが何を意味するかということ。国民あるいは患者のほうは、医療の全体としての体制の中では自分が非常に疑問に思っても、こういう第三者機関を作ってくれて、とにかく医療全体としては一つひとつの不満、不信、不安に応えるような体制を作りましたからねということはいい。しかし、患者は、直接ある病院、ある医師との関わり合いの中で何からの問題を発生させているのに、この人のことこの病院のことは信用できないというまま終わってしまうのではやはり問題。こういう体制はできたから救われている、というだけでは済まないような気がする。本来患者というのは、直接かかっている病院やお医者さんを信頼したい。そこに何らかの疑問があったときに、こういうシステムができて、全体の医療体制としてはそれに応えるということもあるのだけれども、さらに欲を言えば、こういう活動が元の病院、元の医者に対して、よく分からなくて不信だったものが、最低限は仕方がなかったことなのかなと感じられることが大事。そこで新たな関係が出来て、その病院とも、その医者とも、もう一回新たな信頼が構築できるように、そういう話につながらないといけないような気もするが、それはどうなのだろうか」
実に本質的な問いかけである。
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