真木魔愛の病院ウラの四方山話

一病~リウマチ~息災徒然ノート30

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年09月19日 21:50

生物学的製剤の登場4

** 最終回 **

生きていて良かったと何度も思えた夢のお薬、
生物学的製剤エンブレルですが、
副作用や、いつか効かなくなる不安や、
いつまで注射を打ち続けるのか
経済的な心配もあります。

でも、たとえリウマチが完治しなくても、
病気を忘れる時間は、
人生の質を高め、

そして、近い将来、

リウマチは治る時代になる

と確信します。

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一病~リウマチ~息災徒然ノート29

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年09月18日 22:07

生物学的製剤の登場3

リウマチは今以上に良くはならない、
必ず悪くなっていく

ずっとそう思っていました。

ところが、新しい治療を始め、
さらに仕事を離れて生活スタイルが変わると、
身体の状況も著しく変化したのです。


生物学的製剤導入当初は、
週に二度か検査のある時は三度、
エンブレル自己注射トレーニングに
通院しました。

検査や治療、待ち時間が
どんなに長くても、
仕事に戻らなくてよい気安さは、
言葉に表現できないほど、
心にゆとりと潤いを注いでくれました。


エンブレルを打ち始めて1ヵ月後、
CRP(炎症反応)は、0.01に激減しました。

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一病~リウマチ~息災徒然ノート28

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年09月17日 20:51

生物学的製剤の登場2

医療機関で仕事をした経験は、
病を抱える自分にとって
貴重な財産になりました。


医療界を取り巻く厳しい情勢下で、
リウマチの私を雇い、
傍らにおいて導いてくださった院長には、
尊敬と深い感謝の思いでいっぱいです。


院長は私の入職当時から、

リウマチであることを病院で言うな

と言っていました。

この意味がよくわからずにいました。

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一病~リウマチ~息災徒然ノート27

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年09月16日 20:49

生物学的製剤の登場1

治験薬FK506がどんなに良い薬でも、
CRP(炎症反応)は、
1.5~2.0の値から
下がることはありませんでした。

FK506以外に、
ロキソニン1日3錠、
プレドニン1日5㎎

も手放せない状況で
仕事をしていました。


2005年春、
治験修了に伴って、

後藤先生が
承認されたばかりの

生物学的製剤

導入を勧めてくださいました。

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大空へ はばたけ 君の 勝利のつばさ

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年09月15日 21:51

小学校の運動会でした。

練習、準備期間は
台風で休校や秋雨で
短縮されましたが、

今日は
夏日が戻ったような快晴でした。

(日焼け対策を怠ったため
足首や手首だけ
真っ赤になって、ヒリヒリしています!!)

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一病~リウマチ~息災徒然ノート26

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年09月14日 22:21

医療機関へ転職と治験4

腫瘍マーカー値(CA19-9)高騰と、
子宮に悪性腫瘍疑いは、

私個人の問題に留まらず、
混乱を招きました。

FK506の治験引受管理会社は、
悪性腫瘍が完全に明らかになる前に

治験薬内服中止
強く要求してきました。

後藤先生は、

「大切なのは、
真木さんの痛みがないことですから」


治験薬以外の内服薬の選択肢を探りながらも、
治験続行の方向で、
治験引受管理会社との交渉に
毅然とした姿勢で
対応してくださいました。

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一病~リウマチ~息災徒然ノート25

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年09月12日 20:43

医療機関へ転職と治験3

村田先生がフランスに留学され、

4人目の主治医が
現在の後藤先生です。

私は、
後藤先生の診療下で、

治験を続行しました。


病院の仕事が二年目になり、
院長室、総務・人事、広報
と落ち着く場所不明のまま、
言われるままに、
あちらこちらの業務に携わっていました。

確定した休み無し、
夜中や早朝の呼び出し、
先の予定がたたない毎日に、

不満が鬱積しなかったといえば嘘になります。

でも、

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一病~リウマチ~息災徒然ノート24

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年09月10日 20:24

医療機関へ転職と治験2

利益追求を目的とし、
合理化・効率化最優先の一般企業から、

人の生命にかかわる厳しさと、
使命感が最優先、
それ故に
公共性が強調される医療提供の組織体に
放り込まれた私は

完璧なまでの

よそ者

ケトウ(外国)かぶれした

「(テキサスのテンガローハットをもじって)テンガロン

でした。

(院長の言葉そのものです)

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一病~リウマチ~息災徒然ノート23

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年09月09日 23:13

医療機関へ転職と治験1

2001年の暮れから2002年にかけて、

私は
つくばにある私立病院の
院長室勤務の求人募集に応募し、
合計5回、
面接に行きました。

初回面接の時間は
夜8時開始、

約束の時刻から1時間以上待たされて、

やっと院長夫妻、局長と対面し、

院長が開口一番

「俺が誰か、知ってるか?
あんたは、病院で一体何ができる?」

の問いに、

HPで確認していた院長の御名前を告げてから、

咄嗟に

「できることは、

セクハラ防止の講義

でしょうか・・」

答えたのを覚えています。

この日、
私が挨拶以外で言葉を述べたのは、
この一言だけでした。

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一病~リウマチ~息災徒然ノート22

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年09月08日 20:59

三度目の入院

子供が歩けるようになると、
自分より重い荷物を子供に背負わせました。

(見ていた人は、『虐待してる!』
と、思ったかもしれません)

子供が熱を出しても、
自分に移るのが怖いと
真剣に思っていました。

それ程、
子供のことよりも、
自分の体調に気を配っていたつもりなのに、

2000年2月に
ウイルス性髄膜炎
入院してしまいました。

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