真木魔愛の病院ウラの四方山話

一病~リウマチ~息災徒然ノート13

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年08月21日 22:59

復帰4

「何としても子供がほしい、
養子縁組してでも」

夫の強靭なまでの願いと、
私が描くささやかな未来図には、

どうしても埋まらない溝があり、
それはどんどん深くなりました。

夫と出合ってから10年以上の年月、
常に寡黙なパートナーでいてくれるのをよいことに、
私は自分だけの将来に向けて、
自由な選択をし、
その展開と実現のために
好きなようにやってきました。

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一病~リウマチ~息災徒然ノート12

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年08月20日 23:04

復帰3

奈落の底に落ちる思いでいたのは、

リウマチの病状が悪化して、どの薬も効かない、

これが一番の理由でしたが、

実は、
もうひとつ大きな原因がありました。

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いいかも?

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年08月19日 22:47

一週間前に届いたのが、

ブートキャンプセット

爆発的なブームなんだそうです。
(私は全く知りませんでした)

購入したのは夫。

家族三人、
続けること5日目。

ただし、

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一病~リウマチ~息災徒然ノート 11

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年08月18日 22:52

復帰2

所長秘書業務をエリさんに引き継ぎ、

上司の25年に及ぶ東京大学教職時代を補佐役として支えた女性も、
定年退職後は継続して、
TIつくば研究所の所長室を助けてくださることになりました。

仕事を辞めてリウマチが治るなら、
未練なくそうしたと思います。
私にとって仕事はずっと生活の大きな一部分でしたし、
絶望の淵にあって、
廻りに気を遣わせてしまう息苦しさを感じても、
仕事を失う喪失感に比べれば、
どんなにみじめな姿でも、
たとえ疎んじられても、
自分を鼓舞して毎日仕事に行きたかったのです。

仕事の無い日常を思い描くことなどできませんでした。

1996年5月、

私は総務・人事グループに異動しました。

この後、

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一病~リウマチ~息災徒然ノート 10

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年08月17日 23:19

復帰1

三ヶ月間、全てのリウマチ薬を切っても、
リウマチは姿を潜め、痛くなりませんでした。

1996年2月初め、
職場に復帰しました。

上司と人事部の配慮で、
最初の2週間は午前10時から午後3時までの時短勤務でした。

さらに、
所長秘書業務を担ってくれていたエリさんのほかに、
東京大学生産技術研究所で長年技官として、
上司の秘書業務を兼務していた女性が、
定年退職を目前に控え週に2日、
東京からつくばまで自動車通勤して
テンポラリーに手伝ってくれることになりました。

私が一人前の仕事ができないことで、
まわりに迷惑をかけることは辛かったけれど、
学会事務局・大学関係の業務は完璧にカバーされ、何より心強いサポートでした。

ところが、
私は職務も負担も激減したにもかかわらず、
フルタイムに戻った2月下旬ごろには
リウマチが再燃しました。

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一病~リウマチ~息災徒然ノート9

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年08月16日 23:13

最初の入院6

面会謝絶が解けて、
連日病室に通ってくれる同僚のエリさんと、
仕事の引き継ぎや相談ができるようになると、
私はじっくり養生するしかないと覚悟もでき、
気持ちのつっかえが取れました。


結局、最後まで大部屋に移らず、
テレビも借りず、
一日の大部分をベッドの上で、
夫が柏のLEC校に通って借りてくる授業のカセットと格闘していました。

疲れると復帰に備えて(?)ラジオの英語番組を聞き流す、、、
そんな入院生活でした。

リウマチ病棟に入院しながら全く外を見ない、
リウマチ患者と交流しなかったわけです。

これは後に、
患者会であるリウマチ友の会に入会するのを躊躇ってしまう大きな原因となります。

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京都の夜 『五山送り火生中継』

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年08月16日 09:16

京都の伝統行事、
五山送り火が

今夜、NHKスペシャルで午後7時30分から生中継されるそうです。

(タイトルは、前夜の加藤先生の『札幌の夜』にちなんで・・)

最後に火が入る鳥居は、実家の直ぐ目の前に聳えています。

送り火が彩る壮観な夜と、
京都のお盆の街並みが映し出されるのを
朝から楽しみにしています。

『エンブレル能書』の結末

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年08月15日 22:21

お盆真っ最中の外来は、思いの外空いていました。

お騒がせしておりましたエンブレル能書について、

主治医G先生の説明は、

「エンブレルが全例解除されるまでの期間、医薬品管理は治験引受会社がやっていた。
全例解除後、受け皿が院内薬局に変更になったので、
病院内では色々規制があるようで、
能書を抜いたのはそれに従ったのだと思う。
ただ、お気持ちはごもっともなので、
今日は処方箋に開封しないで渡すようにコメントしておきます」

でした。
(そういう問題ではないような・・・)

あくまで院内薬剤部の方針に従った対応というご説明でした。

私の質問

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一病~リウマチ~息災徒然ノート8

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年08月14日 22:34

最初の入院5

入院から一週間が過ぎた頃、
私の肝機能値は
徐々に下がりはじめました。

この間に、
私の肝炎はA型、
つまりウイルス性急性肝炎だと判明したのですが、

リウマチグループの医師団は、
回診の度に、

「数ヶ月前に遡って、口に入れた生ものを詳しく思い出してください」

「特に生牡蠣を食べませんでしたか」

「外国人と接触を持ちませんでしたか」

「東南アジア方面へ出張した職場の人はいませんか?
そのような人と同じカップや箸を使って食事をしませんでしたか」

など
細かく質問されました。

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猛暑日にいた場所

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年08月11日 23:00

太平洋高気圧に覆われて、
関東各地で35度を越える猛暑日となった昨日、
開園1時間前の午前7時30分から、
閉園の午後10時近くまで、

こちら

におりました。

また、
リウマチ患者にあるまじき無謀な行動?と
お叱りを受けそうですが、

京都から小さな客人が滞在中、
どうしても一日はTDLに行きたくて・・

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