五山送り火と灯篭流し |
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投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2006年08月17日 21:11 |
昨日8月16日は、京都の夏を彩る「大文字五山送り火」でした。
お盆に迎えたご先祖様の霊を送り出す伝統行事です。
最後に火が入る鳥居形の麓近くで育った私は、毎年家の前で、その送り火を眺めることができました。
ここ数年は、この時期を外して帰省するので、すっかりご無沙汰です。
でも私の記憶に残っているのは、送り火よりは
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五山送り火と灯篭流し |
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投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2006年08月17日 21:11 |
昨日8月16日は、京都の夏を彩る「大文字五山送り火」でした。
お盆に迎えたご先祖様の霊を送り出す伝統行事です。
最後に火が入る鳥居形の麓近くで育った私は、毎年家の前で、その送り火を眺めることができました。
ここ数年は、この時期を外して帰省するので、すっかりご無沙汰です。
でも私の記憶に残っているのは、送り火よりは
外来にて |
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投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2006年08月16日 22:30 |
今日は二週間に一度の外来診療日。
今年のお盆期間は、放課後児童クラブ希望者激減で閉級です。
もう、一人で留守番も平気なのですが、今朝は「ついていく」というので娘同伴で病院へ行きました。
診察を終えて、会計とお薬(自己注射液とキットは院内処方です)を待っているときの会話。
医療マネジメント学会~京都の思い出(6) |
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投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2006年08月15日 21:12 |
後日談その1:
M元医師は現在、北海道の医療機関でお仕事をなさっています。医師免許は未だ復活していません。
米国同時多発テロ直後の医道審であったことも、M医師の処分を厳しくした原因と聞いています。
後日談その2:
救急入院後、不幸にも亡くなられた女性の遺族(ご主人とお嬢様)は、当初、憤り怒りおさまらず裁判で争う姿勢でしたが、病院での検査や治療に全く問題がなかったこと、対応した当直医と副院長、さらに看護部長と院長の長時間、再三におよぶ話し合いと説明の結果、半年以上の年月を経て納得されました。
後日談その3:
この京都行きから戻って数日後、私は
医療マネジメント学会~京都の思い出(5) |
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投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2006年08月14日 22:23 |
帰りの新幹線の中、院長は大きないびきで爆睡でした。
東京駅に待機していた病院車に飛び乗って、つくばに到着したのが午後5時前。
なんと京都滞在はちょうど12時間。(うち仮眠時間8時間、本来の目的の仕事は10分)
それから、その日の早朝、亡くなった入院患者の救急対応をした心臓血管外科の副院長と、当直医と話し合い開始。看護部長なども加わって会議が延々続きます。
医療マネジメント学会~京都の思い出(4) |
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投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2006年08月13日 22:24 |
医療マネジメント学会~京都の思い出(3) |
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投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2006年08月12日 21:25 |
ところが雨の中、常磐自動車道の入り口を目指して、一目散に運転するドライバーに、
院長は反対方向の自宅に戻れと言います。
いくらなんでもそれは自殺行為、30分以上のロスです。
新幹線最終便に間に合わないのは決定的です。
「資料は全部入れましたが」
「そうじゃない。家に忘れ物を思い出した」
「どうしても、お戻りにならなくてはなりませんか?」
「どうしても、お戻りになるんだよ」
「でも、お時間が・・必要なものですか」
「どうしても必要だ」
「一体、何をお忘れに?」
医療マネジメント学会~京都の思い出(2) |
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投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2006年08月11日 21:33 |
早朝の臨時医局会を終え、これで京都の医療マネジメント学会に出発準備ができると思ったら、
院長は、同日夜に再度、医師を集めて緊急会議だと言います。
「では、京都行きはキャンセルなさいますか?」
と聞くと
「行くよ。明日の午前中に京都にいればいいんだから、大丈夫だって・・」
と院長は私の心配など気にもとめません。
病院勤務三ヶ月目、新参者の私にとって、院長と二人で初めての出張はとても緊張なのに、
次から次に難題が出現し、スムーズに進みません。
先生方が会議をするのは早朝か夜。
昼間は外来診療・手術が最優先。
医療マネジメント学会~京都の思い出(1) |
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投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2006年08月10日 23:33 |
2002年6月下旬、医療マネジメント学会総会は京都岡崎の国立京都国際会館で開催されました。
院長は学会の理事・監事として毎年出席必須です。病院に入職してまだ二ヶ月あまりの私にとって、初めての随行出張でした。
ところが、出発予定日の朝、医道審で院長代理だったM医師が医師免許剥奪という最も厳しい処分を受けました。処分理由は
実家 |
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投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2006年08月09日 23:32 |
12年前、私の父親は心筋梗塞の発作で急逝しました。
全く苦しまず、自宅のお風呂の中でした。
二度目の職場を勤め上げて、引継ぎも終えて明日からはもう仕事にいかなくてよいという
夜でした。享年65歳。
晩年はパーキンソン病を患っていたので、最後まで健康だったとはいえませんが、
それでも、社交ダンスを習い、これからの時間を夫婦で旅行するのを楽しみにしていました。
こわばりのない朝 |
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投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2006年08月08日 23:00 |
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