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和賀井敏夫・順天堂大学名誉教授インタビュー 

和賀井敏夫 順天堂大学名誉教授 

――この度は日本学士院賞受賞おめでとうございます。まずは、超音波エコー画像診断装置の開発に取り組むことになった理由を教えていただけますか。

 仙台の旧制二校時代、寮に一緒に住んでいた同級生で、大塚孝君と雑賀喜規君という者がおりました。私が順天堂医科大学外科に入局した昭和25年当時、大塚君は海上自衛隊で超音波による潜水艦探知の研究をしていました。一方の雑賀君は石川島重工で超音波による材料検査を手がけていました。秋に3人で集まった時に、超音波を人体検査に使えないかという話になったのが、そもそもの発端です。翌年のはじめから、石川島重工の研究室に私が脳の標本を持ち込んで実験を始めることになりました。余談ですが、雑賀君は後に石川島重工の社長になっています。

 当時は超音波の人体利用に関して、まったく文献や前例のない状態だったので、超音波が果たして人体を伝わるのか、人体で反射するのか、超音波は人体に有害でないのかといった全くの基本から手探りで始めざるを得ませんでした。安全性については、ウサギの脳に超音波を連続8時間ほど当てて、その間の呼吸や血圧を連続記録し、さらに照射後の病理的な検査するといった方法で確かめました。これが超音波の安全性を確かめた世界で最初の報告でした。

――なぜ脳の標本だったのですか。

 私自身が脳外科の勉強を始めたところで、X線では腫瘍を発見できないばかりに手遅れになる脳腫瘍の患者さんを多く目にしていたからです。「手術の順天堂」「順天堂でダメなら諦めなさい」と言われていても、実際には手遅れで助けられない患者さんが多かったのです。脳腫瘍を早期に発見できるようになればという思いがありました。

 後から振り返れば、脳は最も超音波診断が難しい部位でした。基礎知識や前例がないからそんなことになってしまったのですが、ただ、他の国で超音波検査の研究に着手していた方々も脳から始めていたのは、偶然とはいえ面白いところだと思います。超音波検査研究のパイオニアとしては、オーストリアのドシック、米MITのボルト、ヒュータ、MGH脳外科のバランタイン、ミネソタ大のワイルド、リードといった各氏が挙げられますけれど、皆あまりにも研究が難しいために途中から成果が出なくなり、ついには我々の独壇場となっていったわけです。

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