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ニュース〜医療の今がわかる

終末期懇談会1

第一回の終末期医療のあり方に関する懇談会
が開かれたから。
肝炎会議も大事だけれど、こちらはもっと見逃せないでしょう。
ということで、委員名簿はこちら

舛添
「初回なので私の考えるところを述べる。終末期医療のあり方は国民の関心が高い重要なことだ。これまでに3回の意識調査を行ってきたところだが、平成18年に射水市立病院での人工呼吸器外しが発生したことから尊厳死に関する議論も高まり、平成19年にはガイドラインもできた。後期高齢者医療制度でも終末期相談支援料というものが設定され、相談することを支援することそのものは良かったんだけれど、75歳以上で線を引いたことから、言葉は悪いが姥捨との批判を浴びるに至った。わたし自身は、終末期というのは高齢者だけの問題ではなくて40歳にもあるかもしれないし、親がそうなった時に息子や娘がどうするかの問題でもあるし、非常に狭く限定してこのチューブをどうするんだという話だけではないと思う。大臣になる前には、リビングウィルを法制化したいと思ってさえいた。医療に限らず、もっと広く人生の終わりをどうするのか家族皆の問題として考える、それを支援する、そういうことが必要だと思うのだけれど、しかし高齢者だけでなく国民全体の問題として考えるためにも、75歳以上ということについては一応凍結をした。決して悪いことではないけれど、国民全体の問題として考えたいということで、中医協の方々には随分と叱られたが凍結をお願いした。

人生の終わりかたの問題だから、一人ひとりの意見が十分に反映されるものじゃないといけない。厚生労働省からすれば、きちんとプロセスを踏んでやっている話、後期高齢者医療制度にしても手順は踏んでやったのだけれど、しかしそれが対外的にきちんと伝わっているか。すべての国民には、残念ながらなかなか伝わらない。ただ終末期の問題は皆が身近に考えないといけないはずで、後期高齢者医療制度によって脚光が当たったので考えるきっかけにはなったと思う。この機会を生かして、よりよい形にできればと思う。

ことは医療だけでなく、家族との生活をどうするのかという重い課題を、むしろ議論すべきだと思っている。この管を外すかどうかではなく、もっと広く家族との関わり、生活全般について議論が必要だと思う。それが診療報酬なり医療制度に入ってくる時は狭く議論することも必要かもしれないが、まずは広く。大臣だからといって、一つの結論を押しつけるようとは思っていない。より良く議論いただくために皆さんにお集まりいただいている。たとえまとまらなくても、論点提示だけでも意味があるし、それはメディアの皆さんの力もお借りして国民に広く問うていきたいと思う。どうか一つよろしくお願いしたい」


座長に上智大大学院法学研究科の町野朔教授を選出。
「終末期医療というのは単に医療だけにとどまらずケアや生活全般を含んで考えねばならず、どう解決するか難しい。この懇談会では、事実の認識や考え方、感じ方を共有する方向で進めてゆきたい」
と町野座長が挨拶して、事務局が資料について説明して、それへの質問の形で議論開始。


中川
「70歳より上かどうかという設問はなかったようだが、まとめる段階で分けたのか」


事務局
「調査票に記入された年齢で分けた」


中川
「70歳以上は何人ぐらい」


事務局
「回収されたうち457名」


山本
「死期が迫っているというのを6カ月にしたのは」


事務局
「経年で過去にも同じ設問で訊いている」


山本
「終末期、末期、死期が迫ったと色々な言葉が使われているが、それぞれにどういう差があるのか」


町野
「terminalを訳した言葉というだけで、それほど大きな差はないのだろう。それが6カ月なのかterminalなのかは議論があると思うが」


伊藤
「医療職の方が一般の人より関心が高いと評価しているが、回答率を見ればむしろ逆なんじゃないか。どこをもって関心が高いというのか分からない。高齢者でリビングウイルの支持率が低いのはなぜか。それから延命治療を望む人は少ないとはいえ確実に存在する。それを多数意見はこうだということで説明するのは適切なのか」


事務局
「最初の質問は単純比較したということで、次の質問については解析していない、最後の指摘に関しても我々の中では解析できてないということになる」

ここから傾聴に値する意見が次々と述べられた。項を改める。


川島
「ずっと終末期というものがあると思ってきたのだけれど、もしかして実際にはないんじゃないかと思うようになった。五体不満足の乙武君、名前を出して悪いけど、身体は不満足であっても周りに支えられて頭の中は満足なんじゃないか。つまり構成概念と実態として見えるものと違うんでないか。死に行く人たちも、もしかすると最後まで自分が終末期とは思ってないんじゃないかと思うようになった。となると、終末期というものを実態として認定するのか頭の中で構成的に勝手に思い込んでいる可能性もある。そういう意味で言葉の吟味をしないといけないというのが一つ。

それから今回の調査結果を見て感じるのは、調査対象になった患者や家族たちに対して、果たして医者がきちんと説明しているか否かで全然結論は違ってくるんでないかということ。ご本人に対して説明しているかどうかも調査する必要があると思う。説明されてないけど、結果的にこういう結果だからと言われて、そのまま受け取るわけにいかない。というのも昨年の厚労科研で医師の意識調査をやった。がんセンターの7割、臨床研修指定病院の75%が在宅医療の話をしないで病院から送りだしている。そんなことでは、もう生きていても望みはないと思えてしまう。今までは、病気のことだけ、治すことだけ説明していればよかったのかもしれないけれど、之からは治らない人を支える医療も大事なんだということになっているはず。それなのに、その支える医療にどんなものがあるか病院から教えられていない。そこを抜きにして、この結果ありきで議論を進めるのには頷けない」


桜井
「私自身は、終末期はどこでじゃなくて誰とが重大だと思っている。じゃあ医療は要らないかというと、そうではなくて、医療の支えも大切と知っている。支えがあるという安心感を持てる社会が必要だと思う。国民は安心感のある、ゆとりある時間・空間を得られていないんだと感じた」


樋口
「大きな話と小さな話がある。この調査結果を今日初めて見るわけで皆さんもそうだろう。これをどう読むかなかなか難しい。そういう複雑な話がメディアを通してどう伝えられるか心配だ。解析してないという話だったけれど、誰がやるかは別にして、この読み方を丁寧に示していただきたい。前の調査との継続性にそれなりの価値はあるだろうが、その一方でもう少し出せるものもあるんではないかというのが一つ。

一方で解析したとして、その結果で何か出るのか。これだけの調査で何らかの結論に飛びついていけるかというと難しいんでないか。そういうものではない、しかし解析の必要はある。

以前に出た調査結果はロースクールで資料として使ったことがある。家族と本人とで希望に違いがあるという点、理由は分からないとの説明だったけれど、これは別に難しい話でも何でもなくて、がん告知と同じで理由は必ず出てくる。10頁の治療方針の決定に際して誰の意思を重視するのか、患者本人の意思が大切ですねという説明だったけれど、よく見たら一番大きな部分は『患者本人の状況を見て誰に相談するか決める』で結局誰なのか分からない、それなのに患者の意思重視だというのは余りに乱暴でないか。

大臣がわざわざ高齢者に限らないということを仰ったけれど、70歳以上をターゲットにしたものじゃないんだ、ただ少し情報提供しただけなんだということを言えば、メディアや国民も誤解はしないだろうか。余命6カ月になると緩和ケアを望むという結果なんだけれど、これはアンケート調査に応じられるような人と、実際にその立場になった人とで読み方、感じ方が違うんではないだろうか」


池主
「関心があるかないかを大枠で尋ねても、じゃあどういう方向へ行くのかは分からない。全体を見て、何を分析して方向を見出していくのか明確にしてほしい」



「緩和ケア医の立場から、やはりこのまとめ方には違和感がある。緩和ケアを延命中止というように見られている。たしかに尊厳死の問題も含んではいるんだろうが、しかし少なくとも対比して比べられるものではなく、苦痛を和らげると死期を早めるイメージ持たれているのかもしれないが、実際にはそうでない。痛みを取った方が23日の平均余命が長かったという研究結果もある」


舛添
「ここで失礼する。あとは議事録を読ませていただく。どうぞご自由な議論をお願いしたい」


町野
「いくつか出た分析してこの先どうするのかという問題、前3回も調査結果を分析して結果を出したと思うのだが、今回も同じことをして一体何が出てくるのか」


事務局
「今後、議論を深めていただいて、調査については単純にデータを集めるだけでなく、むしろこういうデータを集めろとご指示いただければと考えている」


伊藤
「P107の医療に何を期待するかで、一般の人より医師、看護師が『治すために可能な限りの医療を受けたい』というのが少ない。これは情報を持っている人の方が少ないということなのか、知識だけの問題なのか、それとも願いが違うのか。圧倒的多数は病気と共に生活を支えてくれるということだが、これをどう考えるのか。患者の相談を受けている身としては、緩和ケア=死を迎える病院だと思っている人が多い。緩和ケアで有名な病院というだけで拒否反応を示す人もいる。それからまた、それまでの主治医との信頼関係を打ち切りたくないという人も多い。知識の差で受け止め方が違うということを最近顕著に感じている」



「緩和ケアにそういうイメージがあるとしても、言葉だけの問題ではないのでないか。以前はホスピスという言葉が一般的だったが、死をイメージさせるということで緩和ケアに変わってきた経緯がある。しかし緩和ケアも中身が正しく伝わらなくて、いつの間にか死をイメージするようになってしまった。言葉を変えても変わらない。以前はギアチェンジするように治療と緩和ケアの切り替えが行われていたが、今はシームレスな移行ということが言われている。それでも死に対するイメージはあまり変わらない。パラレルケアという考え方が大切なんでないか。その人の生き方、人生そのものを支え続ける、その姿勢がパラレルケアで、そのような意味合いで緩和ケアが捉えられるといいなと思っている」


田村
「シームレスに持って行こうとしても、今までは医師の方がギアチェンジして違う所に動かすんだという意識があって、患者が緩和ケアと言われただけでガックリ落ち込むということがあった。どんな状況になっても暮らしを支えてもらえるんだという情報、そのような相談支援の役割が大きいと思うのだが、それには時間とプロセスが必要だろう。医療中心で生きてきた患者さんに、治療の手がありませんと言えばどうすればよいのかと途方にくれる。情報を持たれれば違う選択になるだろう。

ところで、このデータはどういう風に使われるのか。現状に関しては、情報の開示と併せて調査しないと難しい」


町野
「報告書の中では説明はしといた方がよかろう」


中川
「5年前の部会にも参加したが、5年前と議論の内容が変わってないというのが率直な感想だ。総論報告は前回もしたが、その後で実際に神経難病の方々からは問題提起もされており、そのような各論まで踏み込むのかが大きな問題だ。この検討会が何も提案できないと、どこもできないことになる。これだけのデータで提言するのは難しいだろう。しかし、しないと5年前と同じ総論になってしまう。

ガイドラインに個人の意思と強調されているが、元気な時に意思表示してない限り家族と相談になる。個人を強調すると実質のないものになってしまう可能性がある。というのも私が相手をしている慢性期の患者さんの場合、ほとんどが家族の意思で、それで問題なく進められている。個人個人と主張すると、しっかり表明しとけという話になり、しかも特に救急や高齢者医療のことを考えると現実的でなくなってしまう」


町野
「家族と本人は違うのに何だという意見がある一方で、現場では本人の意思確認が難しいということはあるだろうし、たとえ意思表示したとしても本当の本人の意思かどうか分からないということはあるだろう。自己決定を中心に据えて、それが表明されていない時には推定していくというのが法的な考え方の順番になるのだが、現場では確認の手続きをどうするのか。樋口委員か事務局か」


樋口
「参考資料に示されたガイドライン。短いものだが、そうは言っても読むのが難しい。その後に解説編がくtっついている。そこで手続きが具体的に示されている。まず患者の意思確認できるか、ということになっている。だが、その本人の意思が家族に知らされないことはないわけで、家族を無視して本人がそういう希望だからと進むことはあり得ない。何か言うに決まっている。全体として合理主義であって、自己決定が全てという風には、このガイドラインはできていない」



「決定してから家族に知らせるとなると、悩むのは本人はこう言っているのだが家族は納得していないからということで、そうできないこと。プロセスの中に家族との合意が含まれていないのだが、現場の感想としては、三者が合意して納得する必要がある」


川島
「プロセスを重視すべきだと思う。結果は、プロセスをきちっとしたら自ずから出てくる。結果を目的にしてはならないと思っている。始めから、こうすればいいのにとプロセスを合わせて行くのが危うい。みんなでちゃんと話していこうとするのが大事なんであって、限られた命であっても生きている時は生きている。亡くなるのは結果であって目的にしちゃいけない。目的になることだけは避けなければならない。本当に各医療機関できちんと話し合うことができているのか、私は怪しいと思っている。生き方の説明をしていない可能性が高い。であればプロセス自体が機能していないことになりマズイ。今日のデータも、そういった所を緻密に分析することなしに前へ進めるのはダメ。次は今までの質問内容でよいか確認すべきだろう」


町野
「5年前も、次は、という話だった。プロセスに関して法律学者から見ると何も言ってないので作る意味がないということになる。現場からも役に立たないという声がある。しかしまた歓迎する方が強い。独断を回避できるからいいんだ、と。途中までは色々な立場の人がかかわるのに最終的な判断からはコメディカルが排除されてしまうことが多いようだ。ただし、このプロセスを踏めば止められるんだという誤解が生じたとするなら危険で、それが新聞報道になって現れた事柄なんだと思う。

問題はそこから先、各論の部分で前回もそうだった。終末期といってもいろいろある。議論が必要とは分かっているが、そこまでいかない。時間の制約もあって難しいのだが。アンケートは、その場に直面していない人が答える以上、きちっと厳密な答えにするのは難しいだろう。どのように読むか難しい」


池主
「資料1のP4の2、6ヵ月で切られると強力に伝わる。その6ヵ月にどこまで関与できるかと考えてしまうかもしれないが、口腔分野でも大分対処可能な課題が多い。いろいろな立場の人が入っていって何ができるか明らかにしていく努力が必要だろう」


山本
「高齢者でない終末期というのは、救急の現場にいると結構ある。心肺停止で入ってきて呼吸器挿管して脳波も消えつつある。ところが呼吸や循環はコントロールできちゃう。そういう患者をどうするのか考えていただかないと、現場とかけ離れたアンケート結果になってしまう。いわば急性期の終末期もある。極端なことを言えばPC/PSを維持してしまえば心臓止まってても意識が出てくることもある。そういう時にどうするのか、そこまでいく話だ」


町野
「線引きを考えるのは法律家の仕事としても、現場の状況に則して、医療の観点からどのような医療が適切なのかで考えれば、必ずしも6ヵ月にこだわる必要はないだろう。今まで、そこで区切ってきただけと解釈すべきだ。最後に制度化する際に狭めるにしても視点はブロードに取っていただきたい」


大熊
「2つある。言葉のイメージが違うんでないかということ。認知症の時に延命が問題になるのは、点滴するには物理的拘束が生じて悲惨なことになるからだったと思う。しかし延命も人によってイメージが違って、むやみやたらにポカポカやらないということもある。長いこと延命はイヤだと言っていた人が、いざ自分がその立場になったらもう少し生きたいと言うというように言葉によってブレているのかなと思う。そういう目でタイトルを眺めてみると、終末期という言葉と医療という言葉が邪魔だと思う。医療だけじゃダメというのはコンセンサスがある。どういう風に生活を支えていくのかが含まれている。oldoldを後期高齢者と訳してしまって感じが悪いと反発されたように、終末期というのも感じの悪い言葉ではないか。私の好みから言えば、人生の最期の迎え方に関する調査とすればどうか。宮城の古川ではMSWが大活躍していて、そのMSWの話を聞いたお医者さんが自分の見方が狭かったと反省している。ドラマチックな演出によって、最期に輝いて亡くなっている。医学教育の中では高齢になった人たちを知らない。医学教育の話にもなるんだろう。そのように日本の中でも新しい医療の試みが始まっている」


桜井
「私は体験したことしか言えないのだが、がん末期の痛みが激しくて緩和ケアへ入院した人がいる。痛みを和らげられれば特養は終の棲みかになる。しかし、がんの緩和ケアは死ぬところだから行きたくないということになる。特養では限界がある。ところが特養に看取り加算がついたことで、特養のイメージも変わってくるんでないか。私は誰と迎えるかだと思っているのだが、そういう感覚に変わってしまうのが怖い。特養にホスピスを取り入れられる考え方に変わっていくと救われる」


伊藤
「急性期や難病は特殊かなと思っている。射水病院の問題があったので、あえて言っておくが、人工呼吸器をつけたら終末期なのか、ALSなどの方は付けなければ終末期だろうが、付ければ5年も10年も生きられる。病気そのものがあと6カ月という時が終末期なのか、医療を行えば5年も10年も生きられるものはどうなのか。その時の主治医の説明によって大きく左右されると思う。つければ外せない、外すと射水のようになる。付けると家族に大変な負担になるというような説明をされたら、付けないという選択をせざるを得なくなる。それが果して本人の選択と言えるのか。そういうことがあるので、一般的な終末期という言葉でくるんでしまわないでほしいなと思う」


永池
「前回から今回までの間に国民の意識が変わるような情報提供をされたか。それから同様にガイドラインができてから、どのように現場と国民に周知したのか、お聞かせ願いたい。というのも看護職中心に研修をしている時に、ガイドラインを知っているかと尋ねても知っているという人は少なかった。医療従事者だけでなく国民もどう活用されるのかあまり知らないと思う。それから、これまでは検討会だったのが、今回は懇談会になっている。この違いに何らかの意思があるのかないのかお聞きしたい」


事務局
「前回から今回までの間に情報発信を含めて様々な事業を通じて色々な取組を行ってきたし、今後も各局連携しながら今後も続けて参りたい。ガイドラインに関しては昨年6月に公表してからまだまだ普及が足りない点はあるが、できる範囲で普及啓発を図ってきた。今後もしていきたい。前回の検討会にさらにメンバーが加わったので懇談会という位置づけになった。結論の方向性が変わることはないと考えている」


中川
「ヒアリングすると趣旨に書いてある。どういう風に?」


事務局
「多くの方々のご意見、特に当事者の観点から、ここにいらっしゃる方々も当事者だけれど、また違った観点からの具体的な現場の実情をお聞きしたい」


町野
「どこまでヒアリングできるかは議論あるだろう。限られた時間の中でどれだけできるか」


池主
「中医協の介護保険分科会は、核心の論議に入りつつある。30日には在宅医療推進協議会もある。こういったものとの連携をどうするのか。ここで議論は、何らかの制度に落とし込むことが前提だろうから、そういう時に介護保険の議論が終わる12月までにどうするのか。先方としても、ここで論じられていることを無視できないだろうし、むしろここだ最終的に大きな形を示す必要があるんでないか。その割にあまり連携が取れているとは思えない。どう連携を取るのか」


事務局
「在宅介護の関連は担当部局もこの会議に出席しているので、いずれは反映させることになるとは考えている」


川島
「生き死にを財政論で話されるのはマズイ。たしかに、ここまでしか介護保険で給付されないからといったようなことも終末期の議論の背景にはあるだろうが、はじめに財政ありきで進めてはいけない」


池主
「中医協の議論は財政に限っているわけじゃない。費用だけじゃなくて、あり方も話している」


町野
「この議論自体はバックグラウンドとして介護保険どういうつながりになるかはまた検討が必要だろう。その辺は改めてヒアリングしていただいて。お金の問題ではないのは確かだが、在宅医療の限界からこういう話になっていることもまた事実だろう」

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