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ニュース〜医療の今がわかる

「どこでボタンをかけ違えたのか」 宮台真司氏講演 ~現場からの医療改革推進協議会より


 要は、グローバル化が進むということは、市場の暴風雨に個人が翻弄されても、もはや国家が対抗できない。国家が対抗すると、資本が逃げるんですね。だから個人をプロテクトする共同体が重要化しているんです。

 新自由主義に関する勘違いに、我々の貧しさがよく表れています。新自由主義というのは30年前のサッチャー政権、あるいは次のメージャー政権で大臣を歴任したダグラス・ハード男爵が提唱した考え方なんですね。当時70年代は社会福祉国家政策によって二つの問題があった。一つは財政の破綻です。もう一つは社会の空洞化です。人々が全く相互扶助を忘れてしまった。あるいは金持ちが自腹を切って色々なことをやるというお大尽的なメンタリティを忘れてしまった。だから、国家を小さくして、その代わり社会を大きくしましょう、これがダグラス・ハード男爵の提唱ですね。ちなみに、現在のキャメロン内閣のスローガンも大きな社会ですね。偉大なという意味も含んでますけどね。

 なんで新自由主義がとりわけ日本で誤解されたのかと言うと、マーガレット・サッチャーがダグラス・ハードの言った、彼は包接性とか参加とか新しい市民性とかいうことを重要視したんですけど、それを伝統家族とか性別役割分業的な家族や地域の絆という風にうんと保守的に読み換えてしまったんですね。それで新自由主義というのは、すごい誤解されて、評判が悪くなった。でも日本のように、新自由主義を市場原理主義と誤解するような特殊な理解はなかった。非常に日本特有のものです。

 で、そのことをミルトン・フリードマンに対する誤解によって見てみましょう。ミルトン・フリードマンの本をいくつか読んでみてください。市場原理主義とは全く違うことが書いてあります。彼は市場原理主義者ではありません。いくつもの本で、医療と教育は絶対に市場化してはいけない、政府不介入ではいけない、徹底して介入しなきゃいけないという風に言ってるんですね。予算措置にしても。しかし、ここから先が彼ですね。行政官僚制による社会計画は受け入れてはならない、と。

 二つ理由があるんですね。一つはハーバード・サイモンという人がノーベル経済学賞をもらった一つの理由ですけども、行政官僚制が計算できる社会のパラメーターというのは、ごくわずかなんです。だから、合理的な計算がどうせできないということと、ただの権益野郎どもの集まりですから、計算する所は自分たちの権益に役立つことだけ、こんなクソ野郎に計算させてはいけない、だからということで彼は二つ主張した。

 一つはバウチャー。民主党の初期のマニフェストにも入ってました。用途指定のクーポン券です。つまり教育にしか使えない、医療にしか使えない疑似貨幣を配るんです。皆さんが、その教育チケットや医療チケットをどこで使うかは皆さんが決めるんです。それを彼は市場を使ったvotingつまり投票だという風に言ってる。バカな行政官僚にどういう病院が残るべきなのかなんてことを判断させてはトンデモないことになる。そうじゃないチケットを持っているヤツが、どういう病院が使いやすいのかというのが、人々が投票することによって証明される。

 もし日本でもそういうことがあれば、公立総合病院偏重主義ではなく愚昧が起こることはあり得なかった。愚昧そのものですよ。過疎地における総合病院偏重は過疎化を加速する。つまり町医者がどんどんいなくなってきますからね。同じ。遠隔地における学校統合は過疎を産む、加速する。理論的には昔から分かってる。イギリスでもかつて起こったことです。だから、こういうことが起こらないようにするためにバウチャーを使おうじゃないか、しかも万人が投票できないと公共性を担保できないので、ベーシックインカム最低限の投票をできるだけのチケットを配りましょう、と。

 日本では雨宮処凛さんの周りに集う、ゼロアカ論壇とかよく知りませんけれどもね、左翼のなり損ねか左翼崩れみたいな人が社会主義の延長線上でこれを考えてますけれども全然違うんですね。それだったら行政官僚制の副作用を全然手当てできなくなる。

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