文字の大きさ

ニュース〜医療の今がわかる

「介護者同士が共感できる場を」―認知症患者の介護家族の声③

有岡さん.JPG
3回目は、認知症の母親の富子さん(95歳)と二人で暮らしながら11年にわたり介護を続けている有岡陽子さん(61歳)。次々と出てくる富子さんの症状に有岡さんは一人で悩み続けましたが、介護者同士の集まる場に参加してからは「今が一番幸せ」と語るほどに。有岡さんの話には介護者を心身ともに支援していくためのヒントが詰まっていました。(熊田梨恵)

■受け入れられない、母の認知症
 
――有岡さんは、今ご自宅でお一人で認知症のお母様を介護しておられますよね。お一人で介護をされるというのは、不安や大変なことがいっぱいあると思います。
 
私にとって介護は生きている中で一つの出来事なのです。余分なことでもないし、自分の人生に組み込まれたことなのですね。「これが無ければ私の人生は」なんて思いません。母がこうして一日中しゃべるようになって1年になります(症状の一つとして、ほぼ一日おきに起きている間中意味の通じないことを延々と話し続ける)。母を見た方は「大変ね、つらいね」と言われます。正直言って大変です。毎晩4、5回起きるし、過労で持病が悪化して倒れたこともあります。でも私は、今が一番幸せだと思っているんです。尊敬する大好きな母親をこうして介護して一緒にいられること、とても幸せだと思っています。
 
――今そんな風に感じておられるのはすごいことだと思うのですが、最初お母様の認知症が始まっていく時とか、介護が始まった頃は大変だったのではないでしょうか。
 
今から11年前に母の介護が始まった時は、大好きな母が変わっていく様が受け入れられなくて、出口のないトンネルに入ったような気分でした。そのうち私のことも忘れるんだろうと思い、そうなって、それがやはり一番つらかったです。周りからも言われるぐらいに仲の良い親子だったので、なんで私のこと忘れるんだろうというのが一番つらかったです。
 
――お母様は、どんなふうに病気が始まられたのですか。
 
母はその時85歳で、脳梗塞で倒れていつもかかっていた病院に運ばれたんです。もともと丈夫ではあったんですけど、その10年前に脳軟化症と言われて、何度か入退院はしていたんですね。約3か月入院したんですけど食欲のない状態が続いて、一緒に寝泊まりしていた私も食欲がなくなってきました。母が少し食べられるようになった頃、私はさらに調子が悪くなって、母と一緒に1か月ほど入院したんです。それで私の方が少し先に退院したんですけど、看護師さんから「お母さんが夜中に『陽子がいない』って言い続けてたよ。少し痴呆が出てるかもしれない」と言われたんです。ちょっと前から物忘れとかはありましたけど、主治医の先生からも「年をとったら出るもの」と言われていたし、その頃は認知症も今ほどクローズアップされていなかったのでそうも思わなかったです。見守りが必要になるからフルタイムで働くのは難しくなるかもとも言われて、その時は信じられなかったですし、認めたくなかったです。
 
――有岡さんご自身はその頃、お仕事はどうされていたんですか?
 
私は長く働いていた会社を辞めてしばらくしたところだったので、次の仕事を探そうと思っていた時だったんです。でも母が退院してからは、そういう症状が顕著に目立ってきました。私は午前中だけ近所のスーパーで事務のパートをするようになったんですが、「おかずを買って帰るから」と言っても用意して待っていたり、パート先に一人で買い物に来た母に「もうすぐ帰るから待ってて」と言っても先に帰ってしまったり、夏なのに冬服を着てパート先に来たこともありました。他にも電話の受け答えがちょっとおかしかったりもしましたけど、まだ病気として信じたくはなかったですね。
 
――これまでと違うお母様の姿を見られて、ショックを受けられますよね。大好きだったお母様が少しずつ変わられていって、でもそれを認めたくはない......。
 
でもこの状況を何とかしたいと思ってヘルパーの学校に通い始めたんです。いつも二人だったから、何かあるとダイレクトに母に当たってしまうんです。「しっかりしてよ」とか「だめじゃない」と言ったり。だから引いたところから母を見たいと思って学校に通ったんです。先生にこの状況を話したら、「あなたの世界にお母さんを持っていくのは無理だから、あなたがお母さんの世界に入って女優を演じなさい」と言われたんです。そこで認知症が始まっているんだと自覚しました。自分の中で考えている、この4,5年の時期がつらかったです。友達には何度も電話をしてずっと話を聞いてもらったり、私の様子を見に来てくれたこともあって、感謝しています。でも友達も同じ経験をしているわけではないから、「話はいくらでも聴けるけど、共感してあげられないのがとてもつらい」と言われたりしました。
 
――学校にまで通ってお母様に向かおうと思われたのはすごいと思います。でも大好きだったお母様、なおさらおつらいですよね。
 
私たちは常に二人一緒でした。母はすごく性格が楽天的で前向きなんです。実家の事情が色々あって、私は高校生ぐらいの時に「自分の人生が真っ暗だ」と母に言いました。すると母から「あんたは英語が好きやから、好きなことを一生懸命やっていったら道は必ず開ける」と言われました。私はその言葉を胸に、困難でも一生懸命やっていったら絶対に道は開けると思ってやってきましたし、母が認知症になってからもずっとそう思ってやってきました。私たち親子はあまりにお互いを思い合い過ぎていて、でも母は絶対私の事には干渉しないです。私がやりたいことは尊重してくれるし、夜帰る時間が遅くなったとしても遅いことは心配しても、誰といたとかそんなことは一切聞かない。常に私を信じてくれていた、そういう母でした。母とは国内や海外、たくさん旅行に行きました。大らかで大陸的な性格の人だったので、外国をとても楽しんでいて、85歳まで上海に行ったりしていました。

1 |  2  |  3  |  4  |  5 
  • MRICメールマガジンby医療ガバナンス学会
  • 「認知症 それがどうした!」電子書籍で一部無料公開中
サイト内検索
loading ...
月別インデックス