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ニュース〜医療の今がわかる

村重直子の眼13 大西睦子・ハーバード大学歯科医学校研究員(下)

大西睦子・ハーバード大学歯科医学校研究員の最終回です。

村重
「ところで、ダンスはどういうきっかけで」

大西
「2007年の4月、はりきってアメリカへ行ったのですが、当時ひとりもお友達はいませんでした。アパートは渡米前、ボストンにある日本語の通じるボストンにある不動産に連絡して、一応安全そうな所を決めました。不動産の方に、日本から寝袋かエアベッドのような寝具を持って来てくださいとか言われて、とても不思議に思いました。忘れもしないボストンのアパート初日、四角の箱のような部屋を紹介されて、『ここがあなたのお部屋です』と言われた瞬間、寝袋の意味が大変よく分かりました。だって、部屋には床と天井と壁しかないのですから。すぐにデパートに行って何かを買うわけにもいきませんし。車もないですし、どこにお店があるかも全然分かりませんから。ただ私はとても幸運で、同じラボに日本人の先生がいらして、私のベッドと机を確保して運んで下さったのです。なので床で寝ることはありませんでした。でも銀行のカードも作らないといけないですし、アメリカでの生活を始める上で、いろいろな手続きをしなければならなくて、日本で当然できていたことが、何もできない状態でした。またアメリカのアパートの電気は、日本のような蛍光灯ではないので、ホテルみたいに部屋はとても暗いのです。とうとう最初の1カ月は、すごいホームシックになってしまったのです。でもまだ1カ月で帰ってくるのはさすがにちょっと情けないと思って。でもホームシックになってどうしようと思ったんです。日本にいた時には夜の9時10時ってみんな働いているのが当たり前でしたけど、アメリカ場合みんなサクっと7時くらいで仕事を終えて、家に帰ってしまうのです。プライベートの時間を大切にするひとが多いので、飲み会なんて、めったにありませんし。夜は、本当に真っ暗なのです」

村重
「帰り道が危ないですからね」

大西
「そうなのですよ。ボストンは比較的安全な土地ですが、それでも危険な場所はたくさんあります。ラボも誰もいなくなっちゃう。土日は論文を読んだり、ラボにいって実験したりはするのですが、それでも仕事以外の時間が日本にいる時よりはあって、さらに孤独感が増してきたんですよ。どうしようかなあと思って、これじゃあまりにホームシックで精神的によくないなと思って、日本では昔からダンスをやっていたので、ここでもやってみようと思って、インターネットでダンスの教室を探したんですね。そしたらすごくたくさんあって、びっくりしました。それで決心して行った所がMITの学生さんとか関係者の溜まり場だったんですね。私は少しダンスの経験があったので、上手だねって褒められて。それまで何も褒められることがなかったのですよ、英語もあんまりうまくしゃべれないし実験も失敗ばかりで」

村重
「初めてのことばかりですもんね」

大西
「そうなのです。抑うつ状態になりました。、あれもできない、これもできない、何一つできない。言葉も通じない、意思が通じない、友達もいない、ここでは医者としても働けない。私に一体何ができるかなとかなりマイナス思考になっていました。でも、ダンスは経験があったので、結構褒められたんですよ。上手だねって。それだけが嬉しくて、初めてアメリカに来て褒められたと思って。その後、ダンスの先生が競技をやった方がいいって勧めるのですが、私は研究が忙しいし、競技のための練習時間がないですって断ったのです。最初にダンスのスタジオへ行った時に、踊っている人たちはプロのダンサーだと思ったんですね。キレイに踊ってるから、わあすごいダンサーがいっぱいいるなあと」

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