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「慢性期にも十分なリハビリを」―認知症患者の介護家族の声②

板垣明美さん.JPG

 2回目は、14年にわたって脳出血の後遺症のある夫の繁治さん(68歳)を介護してきた板垣明美さん(64歳)。繁治さんは一時寝た切り状態で、医師からも起き上がれる状態以上に回復することは難しいと言われた上、リハビリ病棟には180日間という入院制限がありました。あきらめなかった板垣さんは様々な情報を得て在宅で繁治さんのリハビリを続け、繁治さんは自力で立とうとするほどに回復しました。板垣さんは「退院後も地域で個人に合った慢性期リハビリを受けられるようにしてほしい」と話します。(熊田梨恵)

■「病気になっただけでどうしてこんな扱い」
 
――板垣さんは脳出血後の後遺症を抱えておられるご主人を在宅で見られて、もう14年になられるのですよね。ご夫婦だけで過ごされていた時に突然ご主人が病気で入院され、最初は大変だったのではないでしょうか。
 
1998年3月のある朝でした。倒れている主人のうめき声で目を覚ましたんです。何が起こったのか分からないまま私は救急車を呼んで、主人は病院に運ばれました。その時に担当の医者から「ご主人は脳出血を起こしていて、助かったとしても右半身は麻痺し、言葉のキャッチボールはできません。手術はどうされますか?」と言われたんです。私は震えながら「命だけでも助けて下さい」と答えました。夫はその時まだ56歳です。数日前も二人で旅行に行っていて帰ったばかりだったし、子どもはいないけど、これからも夫婦で仲良く暮らしていこうと思っていた矢先の出来事で、信じられませんでした。
 
――それまでは病気の様子もなくてお元気だったのに、突然のことだったんですね。
 
夫はそのままICUに入院していましたが、一週間ぐらいしてから医者に「次の病院を探しといてくださいね」と言われたんです。私は「えっ?」と思ってびっくりしました。そしたら「ご主人のような状態の人はどこの病院でも受け付けてくれないから、自分の足で探すしかないんです」と言われました。私は本当に驚いて、困って、相談する相手もいなくて、私の担当の内科医に聞いたら病院の中に相談室があると聞いたので、そこに行って次の病院を探しました。私は病院に行ったらちゃんと見て、指導してもらえて、主人は元気になって出てこられると思っていました。でも意識はあると言われましたけど、反応もあまり示さないし、寝たきりで動けない状態です。その時に自分で探せと言われて本当にショックを受けました。
 
――まだご主人の状態が落ち着いていない時にそういう言葉を言われたのはショックですよね。
 
次の病院でも、本当につらかったです。「植物人間状態で来たのに、ここまでよくなったら上等やん。奥さん、どこまで期待してるの。誤嚥性肺炎で死ぬこともあるんやから」と言われました。ある時には看護師さんが主人をお風呂に入れていたんですが、麻痺しているはずの右足を浸かっているお湯から上げよう上げようとしているのでおかしいなと思ったら、熱湯だったんです。私が「熱湯じゃないですか!」と言ったら「ごめんなさい」と謝っておられましたけど......。他にも、気管切開していたので喉の器具を交換するんですけど、サイズ違いのものを入れられそうになったり......。私は心配で心配で、24時間へばりつくようになってしまったのですが、そんな私を看護師さんたちも疎ましく思っておられて、「外に出ていてもらえませんか」と言われたりしました。
 
――医療側のミスも重なって、余計に不信になられたんでしょうね。
 
主人は結局3回病院を変わっていますが、大切な主人がこんな扱いを受けるなら一緒に死んであげたいと病院が変わるたびに思いまいした。病気も好きでなったわけではないのに、なんでそうなっただけでこんな言われ方をしないといけないんだろうと悔しくて涙が止まりませんでした。役所の手続きに行くために電車に乗っていると、上を見ていないとボタボタと涙が出てきました。みんな見てるけど恥ずかしくもありませんでした......。何かあるたびに、なんでこんな思いをしないといけないんだろうと、つらくて、悲しくて。大好きな夫がどうしてこんな目に遭っているんだろうと、病気を受け入れられなかったです。その頃はショックで、ズタズタにされたような気持ちでした。
  

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